GTOのブログ『学び合い』

福岡の小学校で『学び合い』を実践しています。

1学期の終わり

今日は1学期の終わりです。

2回目、8年ぶりの2年生担任。

 

以前の担任の時より、何が変わったんだろう。

経験を積んで、指導すべきこと、力をつけるべきことなど分かってきたことはあるけど、それは子どもたちにとっては関係ないというか、余計なことになることもあるんだ、ということがわかりました。

 

落ち込んだ時は、「自分が担任でなければ、自分が何もしないほうが子どもたちは楽しかっただろうな」と思うこともありました。

 

「こだわり」に縛られている自分がいることに気づき、なかなか変えられない自分に苛立つこともありました。

 

結局分かったことは、毎日ニコニコしていること。子どもたちに肯定的な言葉掛けをすること、という初歩的なことでした。

 

結局自分は自分の器の問題。いつもそう。

 

子どもたち、よく頑張ったね。

明日からたのしんでおいで。

また学校に行きたいと思えたらいいな。

 

学校は失敗を重ねて学ぶところ

「お楽しみ会」と名付けた学期末の遊びのイベントを

学活の時間で行うことにしました。

子どもたちは今、準備に余念がありません。

 

普段の授業以上に主体的に学習していると思います。

そしてトラブルも何度も起こっています。

 

昔は「トラブル起こすくらいなら辞めたらいいのに」と思っていた時期もありますが、

今は「あ、やっぱり起こったか。勉強させよう」と思います。

 

もちろん度合いによりますけどね。

 

子どもたちは失敗を重ねて学んでいく。

それを受け入れられるように大人はなりたいなあ。

補充

『学び合い』は子どもたちに任せるから、分からないままになるんじゃないか。

 

まあ、私も初期にそんなことを思っていました。

そして、その気持ちは分からないわけではありません。

 

でも『学び合い』で分からない子は、一斉授業だともっと分からない。

なら、友達との交流のある『学び合い』の方がよくないですか、と心の中で思う。

いや、『学び合い』だったらおそらく一斉授業よりも分かると思いますよ。

 

だいたい、全員が分かるっていうことに縛られすぎちゃあ、いませんか自分。

全員に同じマラソンのタイムを走れるようにしますか?って思うようにしています。

『学び合い』だろうが、一斉授業だろうが、分からないことはそりゃあるよ。

でもですね、『学び合い』の方が、長期的に見れば分かるようになる。

それを思えるかどうか、ですかね。

 

でもまあ私、補充してますけど・・・笑

連休明け

さあ連休があけて、1学期もあとわずかです。

学習内容はほとんど終えているので、あとは復習をしたり、

1学期学習したプリントなどをまとめたりする時間になりそうです。

 

学期末に学活の勉強として、「お楽しみ会」を開くことにしました。

子どもたちは出し物のの準備をしています。

低学年でも自分たちでできそうです。

 

気持ちよくみんなで1学期を終えられたらいいな。

復活しました。

GTOのブログ『学び合い』

約2か月ぶりに復活しました。

 

一度閲覧を止めて、すべての記事を見直していたので

復活までに時間がかかりました。

 

これからまた毎日を目指してアップしていきますので、

どうぞよろしくお願いします。

 

ああ

自分は教師に向いていないんだ、と思った一日。いや、今までずっと思う時はあったんだけどね。

 

傷つかないようにしている自分に気づいた。

なんかもう

苦しい時は、「早く抜け出したい!」と思ってしまうし、

何とかしようと必死になっているから、それはそれで充実しているのかなと。

その時しか感じられないことって、後からにならないと分からないのね。

 

「一人も見捨てない」とか言っているけど、私にはそんな覚悟はないんだろうな、と思った。そもそも「一人も見捨てない」なんて強い言葉を自分に覚悟ができていないのに、子どもたちに対して使っていいのかと。

今のクラスの子たちはクラスの仲間を見捨てたりしない。

それは「一人も見捨てない」と私が言っているからではなくて、そもそも子どもたちって「見捨てない」のが当たり前なんじゃないかな、と。もちろん、時にはふと見捨ててしまうこともあるし、気づかずにいるときもある。

 

わざわざ私が気合いを入れて頑張らなくても子どもたちはちゃんと成長していくんじゃないのか、私が気合いを入れることで、しんどくなっちゃう子もいるんじゃないか、

私が担任なんかしない方が彼らは幸せなんじゃないか、そんなことを思います。

 

ああ、やりがいとか充実を求めすぎるのかな。