GTOのブログ 『学び合い』で楽しい学校生活

小学校で二重かぎカッコの『学び合い』を実践しています。

『学び合い』初期

『学び合い』初期に起こる状態の一つ。

 

学び合っているというより、触れ合っている状態。

頭を使って考えているというよりも、いろいろな子同士で関わっている状態。

 

『学び合い』の学校観を実感するという目的のためであると考えれば

そんな状態が初期にあってもいいんじゃないかと考えています。

 

逆に、全然交流しないという状態もあり得るそうです。

なるほど、確かに一番最初に取り組んだときは、グループ学習に近かった。

そんなときにどうすればいいか。

 

手立てが2つ(今ところ思いつくものは)

・課題を変えて子どもたちの交流を必然化する。

 例えば、マスを埋める問題にする

     「50文字以内で記述する」とか

・教師が積極的に可視化する。

例えば「あー〇〇さん、すごくいい考えだねえ」とか

   「いろんな人に聞きに行けるっていいねえ」とか。

 

セオリーから外れると思うけど、もっと個人的にかかわって「ねえ、あなたいい感じだからみんなに教えにいってほしいな。」とか「あなたの考えをみんなに伝えてよ」とかいうのもできる子集団を動かすために、最初はいいのかもしれない。

 

うーん、意外なところに考えることがあるっていいなあ。

 

熱い志

志の高い人からは言葉以上に何か伝わるものがある。

感覚に訴える何かが。心を震わせる。

 

ああ、この人についていきたい。

この人のもとなら頑張れそうだ。

 

そんな気持ちにさせられる。

 

不思議なのは、同じ志を持っていると、安心感がある。

職場の上司や先輩と接すると、「自分の考えを受け入れてもらえる人なのか」

「この人にはどこまで話していいものか」という探りを入れていまうが、

今日であった人たちにはそれがない。

 

もし何か任されることがあれば、「ええ是非ともやらせてください」と自信をもって言える。非難されたり、バカにされたりする心配がないからだと思う。

不思議なものだ、『学び合い』の同志。

準備

来週の参観の準備中。

保護者に話すことをSiriを使って、文章化。

これも大事な準備。

いかに分かりやすく伝えるか推敲し、

簡単なスライドをつくる。

 

面倒でも、来てくれる保護者のために頑張ります。

 

せつめい

「説明できる」という課題が難しい。

説明になってない。ただ、式と答え言ってるだけ。そもそも説明というのが分からないらしい。

 

ただ話すだけの学習が、

どう知的な学習になるのか。

 

これは教材を研究せねばならぬ。

課題を考えなければならぬ。

 

足し算

足し算を手を使ってしている子がいます。

 

すぐに思いました。

 

「10以上の計算できないじゃん」

 

その話を子どもたちにしました。

 

「足ですればいい」

 

とある子がいいました。

 

「20以上できないじゃん。」

 

3+5を数字だけで瞬時にできる子

ブロックなどを想像してできる子

手を使う子

よくわからない子

 

彼らが何を思考しているのか、

全くわからない。

聞いたとしても自覚がないからわからない。

 

果たして手を使っている子に

「手を使わずにやってごらん」と言うのは得策なのか。

 

それくらいまあいいや、そのうちできるさ、と大らかに構えておくのがいいのか。

 

うーん、悩ましい。

 

 

『学び合い』って

今のうちの状態じゃ無理ですー。

 

と今日話していた先生言っていた。

 

あー、『学び合い』って学級の規律ができていて授業がしっかりしてないとできないって、思われてるのかなー。

 

ぜんぜんそんなことないのになー。

 

私は結果を出すために、一歩ずつ頑張ります

野球

草野球をしています。

もう8年くらいです。

 

下手です。センスありません。

わりとお荷物です。

 

でも使ってもらってます。

三振してもエラーしてもからかわれるけど、

責められたりはしません。

みんなからアドバイスもらいます。

 

いつも教師として、上から物を言うことばかり、同僚からのアドバイスもそんなに多くはない日々を送ってるので、週一回この野球チームでの自分はとても異質なんです。

 

だからこそ、いいなと思います。

たくさん教わることができて、

ヒット打つだけで褒め称えられる。

いつまでもチャレンジできるし、

センスがないと、思うように身体が動かないことを知ることもできる。

 

野球が好きだってのはもちろんだけど、

自分にとって貴重な時間と立場なんだろうなと

思いました。