GTOのブログ『学び合い』

福岡の小学校で『学び合い』を実践しています。

N先生との出会い

昨日はN先生とお会いしました。

一年ぶりくらいです。

 

話をどっぷり聞いて、許容量オーバー。。

 

新学習指導要領

評価、ねじれ

凝集性とゆるやかな協働

『学び合い』という枠組と、◯◯実践

 

などなど。

あんまり余裕ないとな思いますが、今週これらについて振り返りたいと思います。

許容量オーバーで納得できてないことも多いけど。。

記憶

昨日は家族で大きめの公園に行きました。

天気も気温もほどよく、とても楽しめました。

 

この公園に来るのは、自然教室の時以来だから、5年ぶりですが、公園に遊びにきたわけではないので、、遊びにきたのは遠足で来ていた小学生以来。つまり、20年ぶりくらいです。

 

ふと、20年前と変わらない場所に行くと、記憶がよみがえります。特に覚えているのは、クラスと先生が楽しかった時かな。

 

小学生の頃の記憶って、全くないわけじゃないけど、やっぱり断片的。でも楽しかったことや嫌だったことのように、感情がこもっていることは思い出しやすい。

 

本当はもっともっと色んなことがあったのに、

そんな記憶はほとんどなくて、残っているのは感情の起伏が大きかったことだけ。「あの時は楽しかった」「あの時は嫌だった」という印象だけで、決まってしまうのは、少し悲しい気もする。

 

今私が関わっている小学生の子たちは、大人になって、どのように記憶しているだろうな。

「あの時のクラス、楽しかったな。みんなで勉強しててね」そんな感じで覚えてくれてもいいし、サッパリ忘れてもいい。

記憶に残らない何かを残してあげないとな、とも担任教師としては思います。

 

おそらく小学生ときの私がそうであったように。

 

感動しました

「感動しました」

 

今週、懇談会で話したことに対する、感想のお返事にありました。

 

感動というのは、内容よりも、

「こんなことを話す先生いるんだ」と

いうことのようです。

 

たしかに今まで考えてきたことを思いっきり話しました。こんなことをしゃべるのは、ほかにいないだろうと思うこともすべて。

 

どんな風に受け取られたかな、とやや不安だったので、感想もらえて有り難かったです。

 

教師は孤独。

でも保護者の応援で頑張れる。

 

一人も見捨てない

以前西川先生の講演を聞いて、自分には「一人も見捨てない」の覚悟が足らないと思いました。

 

以前、自分のクラスにはできても、学年や職場内に「一人も見捨てない」を取り入れることの難しさと、もどかしさを感じました。

 

以前「見捨てない」という、ネガティブな言葉が並んでいることを指摘されて、その通りだと思いました。この言葉には威力があることを考えずに使うのは危ないなと思いました。見捨てるな!って結構強い言葉です。

 

色々と考える機会があって、「一人も見捨てない」アレルギーになりかけでしたが、ふとなおたかさんのブログを読んで、自分の気持ちを再認識しました。やっぱり自分は「一人も見捨てたくない。」

 

でもできることは限られている、見捨てていることもある。それも承知して、「一人も見捨てない」ためにそれを目指していく、それでいいのかな、と思えました。

 

http://nao-taka.hatenablog.com/entry/2018/09/13/224133

前進

昨日は、外部から『学び合い』を見学に来られました。

最近色々なことにおわれて、『学び合い』のことばかり考えていられなかったのですが

見学に来られた方とお話しすることで、また気づく点がいくつかありました。

 

最近子どもたちに語っていることは、「教えっぱなしにならないこと。相手が本当に分かる教え方を考えること」です。以前はこんなことを話してもよく分かってもらえませんでしたが、最近の子どもたちはちょっと理解できるようになってきたと思います。

 

ちょっと強引な価値づけをしている点も否めないのですが、前進しているように思います。さあ、結果はどうでるか。

条件反射

昨日は、子どもたちに力を入れて語りました。

力を入れて語ろうと、思っていたわけではないんですが、

力を入れて語るハメになってしまいました。

理由は精神的な余裕のなさ、だと思います。

 

やはり私は余裕がないときに、余裕のない語りをしてしまう。

子どもたちからしたら「先生怒ってんの?」と思われても仕方がないし、

「先生何言ってんの?」と思われても仕方のない内容。

 

冷静になって、「あーあ」と思った次第でした。

反省ものです。