GTOのブログ 『学び合い』で楽しい学校生活

福岡の小学校で『学び合い』を実践しています。

講師を終えて フィードバック

【講師その②】

 

今日は夏休み2回目、他校の校内研修に講師として呼んで頂きました。今回は『学び合い』のことを初めて知る方への1時間のプレゼンです。

 

どうすれば、聞いている方に関心を持ってもらえるのか。
最低限話すことは何で、一番伝えたいことは何か。それをどう伝えるか。そんなことを色々考えさせて頂く、よい機会になったと思います。

 

その①私の自己紹介。

15秒で自分のことをアピールすることを狙いました。

GTO(ガングロティーチャーオオニシ)だということ。

管楽器で野球応援ができることと、グラウンドでプレーできることを話しました。

 

単純にイメージしやすく、印象に残りやすいアピールです。

 

その②参加してくださった方の自己紹介

 

お一人ずつ、自己紹介。私がアピールしたので、参加してくださった方々にも

アピールをしてもらうことに。これがとても面白い雰囲気で行えました。

笑いのある自己紹介。おそらく職場の雰囲気がいいんだろうな。

この自己紹介を行ったのは訳があって、

 

職員室ではたくさん雑談をすることで、人間関係って築きますよね。それは教室も同じだと思いませんか。それを教科の学習で行っちゃおうというのが『学び合い』です。

 

と説明するためでした。

いろいろ考えた末、「新しいスタイルの授業ですよ」とか「アクティブラーニングですよ」と言って、従来の授業の考え方を崩そうとするよりも、「人間関係づくり」をベースに「子どもたちが話し合いをしたり教え合った方が人間関係良くなりますよね」と伝えた方がが、受け入れてもらえるのではないか。と考えたからです。

 

その③ビデオ

やっぱり実物を観る方が分かりやすい。先日の全国フォーラムでもわかりました。

今回は、1年間の変容が分かるような動画や、他教科での実践をのせて作成しました。

やはり、学年の前半と後半では集団の様子が明らかに違うので、観て分かりやすかったのではないかと思います。

 

その④実演

聞いているばっかりじゃ、眠いだろうなと思い、実際に『学び合い』をやってみる方がいいなと前回の講師の時にも思いました。しかも子どもたちが学ぶ内容でです。教えることにプライドがある先生は、かなり真剣に取り組んでもらえますし、「えーわかんない!」と気楽に言ってくれる先生もいます。何より、自分でやってみると結構難しいし、気づくこともたくさんあります。

 

その⑤実演の前に

もちろん、「はいどうぞ」じゃ『学び合い』じゃないので、

最低限おさえることは説明しました。

・課題の提示、交流、評価の流れ。

・導入の語り①学校は人づきあいを学ぶために来る

      ②子どもたちの力を信じている。そして効率がいい。

      ③全員達成、一人も見捨てない。

これは強調しました。実際に私が子どもたちに語るように、実演しました。

 

ここで気をつけたいのが、三つの観(最近は二つの観)を強調しすぎないことです。これは少しずつ腑に落ちてくるものでいいと私は思っています。これを細かく話出すと、

初めての方は興味を失うと思います。というより、そうでした。

どれだけシンプルに大事なことを伝えるか。だと思います。

 

⑥質疑応答

・ケンカをする子どもたちが多い。それでもうまくいくのか。

・グレーゾーンの子どもにどうかかわるのか。

・正解へのプロセスを間違わないようにするために、教師がどう見とるか。

・1年生の子どもでもできるのか。学年によって、うまくいくのか。

 

とてもしびれる質問もありました。「いい質問をありがとうございます。ぜひ、今度一緒に学ばせてください」と思わず言ってしまいました。どんな講師よって笑

 

今回校長先生が、『学び合い』に関心を持っていていたようで、私の話を聞いて、

「よしやってみるぞ」とやる気満々でした。

若手の先生と一緒に取り組んでいくようです。

一人ではなく、数名で実践できるのは本当にうらやましいですし、

よい結果が出ると思います。そして、途中で諦めず、

子どもを信じれば、きっとうまくいくはずなので、

頑張ってください。という願いをこめて学校を後にしました。

 

 

まとめ

今回の反省点は

・もっと聞いている方が何を望んでいるのか、困っているのか、相手の頭の中に入って

 いけなかったこと。

 

・予定の1時間を超えた。

 

・本当は、学校単位、学年単位で子どもたちの幸せを願えるようになりたいが、現状できていないこと、伝えていなかった。

 

 

とにかく、私にとってはよい経験でした。

またできれば、このような機会があるといいなと思います。

 

 

 

明日は

『学び合い』の講師として、よその学校でお話しをさせてもらいます。

 

前回とは少し違って、『学び合い』を知らない方々向けです。

 

ビデオと簡単なスライド、そして体験などを準備しました。

 

夏休み中の研修なので「良い時間だった」と思われるような時間にしたいですね。

自分の失敗談①

 この本に「自分の失敗談を話そう」とありました。

 せっかくなので、私の失敗談を一つ。

 

私は、大学の卒業式1か月前に留年が決まりました。

教授陣から「あなたの卒論は不可」と言われた時、何がなんだかわかりませんでした。

「え?提出したのに?」

 

私は大学4年間、それなりに真面目に過ごしました。

1年生から講義にはきちんと出席し、3年生からはじまるゼミにもきちんと出ました。4年目になって、卒業論文の研究も行いました。提出前は泊まり込みになるくらい頑張り、無事に締め切りに間に合うように、提出しました。もはや、卒業は決まったようなものだと思っていました。そして言い渡された「留年」納得できるはずありません。

 

最後の希望とばかりに、教授に頼み込みに行ったり、同級生の仲間と相談したりしましたが、結局変わらず、一人だけ卒業延期の身として、卒業式に参加し、悔し涙を流しました。「なぜ、自分だけ卒業できないんだ」

 

それから半年間、孤独に論文に向かい合う日々が続きました。

正解のない答えを探す毎日。

教員採用試験の勉強は私にとって最高の息抜きでした。何せ答えがあるんですから。

結局、半年後に再提出を行い、大した評価は得ぬまま卒業することになりました。

もはやどんな評価でも卒業させてくれるだけでいい、そう思いました。

 

その当時はストレスで頬は痩せこけ、体重も落ち、相当な状態だったと思いますが、

徹底して、論文に向かい合って分かったことが一つあります。

 

自分の論文は、論文になっていなかった。

ただの感想文か、妄想文。

 

それに気づかせてくれるのが、教授の役目なんじゃないかと思いましたし、

他の学科は、そのレベルの論文?でも卒業しているのに、

なぜ、自分だけ。と思いましたが、私の知識不足でした。

 

国語科がこのように、「論文」で評価すること。

毎年その「論文」にならなかった者、「論文」を書けなかったものは、容赦なく「不可」を出す。まあ、正当な判断をするところだったんですね。後から知ったんですが、

私のように留年して卒業する人、

留年して、結局退学する人

即退学する人、

そんな人がごろごろいる学科だったわけです。

 

そんな学科を選んできたのは、私自身。

しかも「自分はできる」とばかりに思っていたところがあったんでしょうね。

もしかしたら社会に出る前に、その変な自信を打ち砕いてやろうと思ったところもあったのかもしれません。

 

つまり、私のリサーチ不足と、自分の力の過信がこの「不可」を招いたと思います。

そして、「しっかり授業に参加した」「時間をかけて努力した」なんて、

結果を出す=「論文を書く」ができていなかったら、何の評価もされないということを知りました。

 

まあ、結局この後、就職もできず、無職になり、なんとか仕事を見つけて、半年後に教師になるという人生を送ったわけです。

 

当時は、どん底の人生だと思っていましたが、今となっては笑い話。本当によかったのは、当時、寮に住んでいて、孤独ではなかったこと。

誤った方向に行かず、何とか半年間過ごせたのは周りとのつながりがあったからこそ。

 

 人間、人のつながりがやっぱり必要なんだとも改めて思った半年間でした。

 

まとまりはないですが、私の失敗談の一つです。

 

2学期の準備

しばらくお休みをいただいていたので、久しぶりに学校に行き、2学期の準備をはじめました。まずは、2学期の音楽会発表する、歌や合奏の曲決めです。

 

音楽に詳しい先生や、経験のある先生から情報を集めたり、自分で調べて決めるのですが、結構難しいものです。本来は、子どもたちと一緒に決めていかなければならないんでしょうけど、夏休みから準備しておかないと間に合わないので、どうしても教師が用意した曲を子どもたちが歌ったり、演奏したりすることになります。

 

このあたりも本来は見直さないといけないと思うんですけどね。

指導をしている時に「なんのための音楽会なのか」と思ってしまうことがあります。

 

2学期の行事は音楽会がメインになりますが、

どんな学級にしていくのか、授業を通じてどんな力を子どもたちにつけていくのか

教師としてどんなことを目指していくのか、そんなことも考えていかなければいけません。結局、時間が足らずに2学期スタート、みたいなことはよくあるので、

あと一週間を大事に過ごしていきたいと思います。

 

 

『学び合い』小学校国語①

小学校で『学び合い』を実践している方や、これから取り組もうとしている方と話をしていると「国語の『学び合い』ができません・難しい」という話をよく聞きます。

 

確かに私も『学び合い』を始めた当初は算数ばかりで、そのうち社会に取り組み、

そして最近になって国語に取り組むようになりました。だから「国語の『学び合い』が~」という気持ちはよくわかりますが、なぜそう思うのかよくわかりませんでした。

 

しかし、最近「アクティブ・ラーニング 高校国語」を読んで、その理由が少しわかった気がします。

 この本にこのような一文がありました。

 

『明確な目標として言語化できること、妥当な評価基準をつくれることが「教科の専門性』

 

おそらく国語はこれをしっかりやらないと授業にならないから「できない」「難しい」と思われるのではないかと思います。例えば、物語文の学習などは数時間単位で授業を行います。やりようによっては、いくらでも幅が広がります。「この教材で、何を学ぶのか」と教師がはっきりしていなければ、何となく「読んだ」くらいに終わってしまいます。他の方はどうか分かりませんが、私は過去このようになっていたと思います。

 

一方で算数は、数時間単元であっても、一時間の授業のゴールが見えやすいように教科書がつくられています。また、算数の単元まとめの問題を『学び合い』で行う時は、「○ページの問題を解いて、全員が理解することができる」という課題を出せば、ある程度『学び合い』の形らしくなりますし、評価も分かりやすいので取り組みやすい利点があります。

 

私は『学び合い』を続ける中で算数でも社会でも「評価はどうするか」「課題はどうするか」ということを考えていくうちに、学習指導要領をもとに、評価基準をつくらないといけないことに改めて気づき、それが国語の『学び合い』でも生かされるようになっていったので、国語の『学び合い』を取り組めるようになったのではないかと思います。つまり、

 

『学び合い』国語こそ、できるようにならなければならない。

 

のではないかと思います。本来しなければいけない「明確な目標として言語化できること、妥当な評価基準をつくること」を曖昧にせずに、どの教科でも行えるようになることが小学校で『学び合い』を行う上で必要なのではないかと思うのです。

 

次回は、もうちょっと国語のことを書きたいと思います。

併用

最近、ツイッター上に『学び合い』実践者を見かけるようになりました。昔はほとんどいなかったのに。。

 

あるツイートを見ていたら、

『学び合い』と一斉授業を併用しているという投稿を見ました。単元や教科、内容に合わせて、『学び合い』をしたり一斉授業をしているそうです。

 

へー。と思いました。

私は今、一斉授業をやろうとは思えません。

仮に一斉授業をやったとしても、途中で耐えられなくなって、すぐに『学び合い』にしてしまうと思います。

 

おそらく、「併用」する時って、まだ『学び合い』を授業の方法レベルで捉えてるんだろうなあって思います。私も昔そうでした。

 

今では、学校生活がすべて、『学び合い』の考え方なので、子どもたちも授業だから、とか算数だから、とかあんまり気にせず、「先生の言ってることはいつも同じ」と感じてるんじゃないかなって思います。

 

あとは、いい授業をしたいとか、勉強分かるようにしたい、とかそういう想いが薄くなったのとあるのかなって思います。

 

ま、この投稿した方については、しばらくは併用していていいと思うんですが、いつか、どっぷり『学び合い』の考え方に入ってほしいですね。その方が気楽だと思うので。。

トライ

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/?word=*[大事なこと]

 

うん、次の九州フォーラムまでに

本を出そう。仲間とともに。

これからの3年間のスタートだ。