興奮
昨日は、保護者に参観してもらう『学び合い』の日でした。
数名の方に来て頂き、子どもたちの様子をみてもらいました。
課題が達成できなかったのは残念でしたが、その後の語りで、どんなことを目指しているのか伝えられたのではないかと思います。
ふりかえりを読んだら、数名の子は分かっていたみたいなので、一年生でも十分理解できるんだなと感心しました。
子どもたちは『学び合い』の後に保護者の方に感想を聞くのをとても楽しみにしているので、お願いして感想を言ってもらいました。
一人だけにしようと思いましたが、結局全員に言ってもらいました。
とても温かい言葉をかけてもらい、子どもたちは大喜び。
興奮冷めやらぬようで、次の時間の授業にまで影響を及ぼしました。
やはり、親に見てもらえるってのが嬉しいんだなあと思いました。
それが自分の親でなくてもそうみたいです。
子どもたちって素直だなあ。
F先生に影響を受けて
F先生がこのような記事をアップしていました。
若者の最大の武器は「語り」なのではないか?: furu-t 学び続ける日々
この記事の中に次のような一節があります。
恐れ多くて語れない。
そんな人もいる。
でも、そうじゃないのさ。伸ばす力があるから語るのではない。 語るから、伸ばすためにどうするかを本気で考え始める。 語ることは出発点。
とても共感できる言葉でした。
今、『学び合い』を実践している先生たちと、じっくり話す機会を持っています。その多くは私よりも若い先生なんですが、その方々と話していて感じていたことがまさに、この記事に、この一節に述べられていました。
自信がなくて。。。
恐れ多くて。。。
そんなことを聞きますが、
とんでもない。
どの先生も、それぞれいろんな人生を歩んできて、いろんな葛藤があって、
いろんな経験をして教師になった。
中には、理想の教師像があった。
もうそれだけでオンリーワン。
実際に教師になって、いろんな子どもたちに会い、うまくいかないことや、悩むことを経験した。その過程で『学び合い』を知り「いい」と思った。
「いい」と思った背景には、「すべての子が分かるようにしたい」「子どもたちが楽しそうに学ぶ姿が素敵だ」など、どこかその人の「生き方」や目指す教師像につながるものがあったように思います。(そうでない場合もあると思いますが)
そして、子どもたちに対して、語る必要に迫られた時まさに、自分の生き方や人生をもう一度捉えなおし、価値づけしていくのではないかと思います。
この作業をくりかえし続け、「何を語るか」本気で考えることで、それまでの自分の経験や生き方が線でつがり、言葉に「厚み」のようなものが増してくるのではないかと思います。
それぞれの人生を歩んできて、いろんな経験を背景に語る言葉はは比べようのないもの。
誰でもそれは武器になりえると思います。
そしてそれを武器にするかどうかは、その人にかかっています。
「自分なんて」なんて思う必要ない。
自分の人生をぶつけて語ったらいい。
F先生の言葉を借りたら、「最大の武器」なんだろうけど、私は「唯一の武器」と思っています。その武器をしっかり育てたら「最大」になるのではないかと思います。
私が今お手伝いをしているのは、まさにそこ。
どこまでできるか分からないけど、プラスになってもらえたらいいなと思います。
25日のセミナー、楽しみです。
学年末にむけて
学年末懇談会に向けて、ビデオ作りをしていました。
懇談会が大したことを話せない代わりに何かできないか、と思ってはじめて
なんだかんだ、毎年続けています。
今までに撮った写真を、その年に使った曲を使ってつなげたものです。
時間のある時は、もっと凝ったものを作っていましたが、今はシンプルな内容になっています。
「しなくてもいい仕事」でもあるんですが、実は自分が一番楽しくてやっています。
作りながら、「ああ、こんなことあったなあ」「こんなに成長したんだな」と思うことができ、子どもたちへの愛着が増します。
保護者の方にも「一年間いろいろあったんだなあ」と思ってもらえたらいいし、
子どもたちにも振り返るきっかけにしてほしいなと思います。
あとは、時間をどうやりくりするか、です。
起こりうる失敗とその原因
昨日夜は、今度のセミナーで発表する先生と打ち合わせをしました。
その先生から、『学び合い』に出会ってから、今に至るまでを聞きました。聞いていて、なるほど~。とか、そうなんだと思うことがたくさんありました。
特にその中でも関心があったのが『学び合い』を断念しなければいけなかった話。
その理由は、誰にでも起こりうるものでした。
『学び合い』関連の本には、①して、②して、③して、と語ることや、発信することがマニュアルのように書かれていますが、その中の一つをしなかった、またはおろそかにしていたから起こったんだと、その先生はおっしゃってました。
話を聞いて、ギクリとしました。
確かにその部分については、今現在は手を抜いていないとは思うけど、もしかしたら漏れがあるかもしれません。特に『学び合い』歴が長くなってくると、慣れに胡坐をかいて、おろそかにしてしまうおそれがあります。
著者の西川先生はよくブログ等で「本に書いてるのになあ~」とつぶやいていますが、
本当にその通り。本に書いてあることは、今まで多くの実践者たちが失敗して、その理由をさぐり考え出された対応策だということ。
私も次の年度に『学び合い』を始めるときは、もう一度ステップアップなどの本を読み返したいと思います。
研究発表会・カリキュラムマネジメント
市の教育センター発表会に参加しました。
私が昨年発表した、会です。
今年は聞きにいく番になりました。
カリキュラムマネジメントの発表を聞きました。
国語の技能面と、生活科、道徳、特別活動を組み合わせるマネジメントです。
私も3学期はすべての科目のすべての単元を見通して
学習の重なっているところや、組み合わせた方がよいところを、十分に検討してから
授業を考えていたので、共感できることの多い内容でした。
最後に、指導助言の際に話をしていた先生の言葉がとても心に残りました。
「カリキュラムマネジメントと聞くと、教務主任を思い浮かべますよね。でもカリキュラムマネジメントは、どの段階・職種でも必要なことであって、今回は担任レベルで、
授業の単元レベルでどのようにマネジメントしていくか発表してもらいました。」
なるほど、確かに自分にも共感できることが多かったのはそういうことか、と思いました。子どもたちの学びをより深めるためには、このマネジメントは必須だと私も感じています。それぞれが単体の学習よりも、つながっていた方が、繰り返し練習できるし、
子どもたちの自信にもつながると思うからです。
それにしても、このような研究発表をするのは、ものすごーく大変なのは、私も経験して思いますし、もう一回やりたいとは思えないんですが、ぜひ一度は経験してほしいですし、「行ってみようかな」「行っておいで」と言える現場であってほしいなと思います。
何度もしちゃうんですよね
ろうかは走っていた→歩きましょう
トイレであそんでいた→トイレは正しくつかいましょう
授業中に腕相撲していた→べんきょうの時間を大事にね
出された課題をしないで遊んでいた→やるよ~
なんて、何度も何度も言うわけですよ。
「さっきいっただろ」と言いたくなるし、言ってしまうことも多いですが子どもによっては「さっき」は別物で、それぞれが単発。
「さっき言っただろ」は教師側の感覚であった、「何度もお説教をした」のも教師側の感覚。
個々に説教を続けてもあまり効果がないと思うので、時折集団に話すようにしています。正直、これがいいのかどうかわからないんですが、今はこのスタンスです。
何度言っても、同じことをしちゃうんだよなあ。ま、大人でもそうかもしれないんだけど。
一回で言うこと聞けるわけないよね。自分だって、毎日毎日ふりかえっては、失敗の繰り返し。
厳しいと恐い
私は厳しい方だと思います。おそらく。
時間にルーズなのは許さないし、ごまかしは許しません。
いいかげんに書いたり、つくったりすることを認めません。
勉強の質を高めるように子どもたちに言いますし、その上周りを見ることを要求します。
要は細かいんです。くどくどくど…そんな感じだと思っています。
だからといって、「なんでできないんだ!」と子どもたちを圧迫させたり、怒鳴って子どもたちを委縮させるつもりもありません。
ただ、厳しくしていることを子どもたちは「先生は怒っている」と捉えているようなんです。「時間を守りますよ」「次は気をつけようね」などの注意は、淡々と言っていますし、「丁寧にしましょう」など、細かくいろいろ言っている時に、笑顔はあまりない。
子どもたちの言う通りかもしれません。
だから、こんなに厳しくしなくてもいいのかなって思うことがよくあります。
厳しくしすぎて圧迫しないように、ほどほどに言ったりしようと思うこともあります。
だから、心の底で「まあしょうがないか」という気持ちも持っています。
あんまり気持ちを込めると感情的になってしまうからです。
宿題を忘れてきた子が、「休み時間にする」と言ったのに、実は遊んでいた、とか
「仕事をした」と言っていたのに、実はさぼっていた、とかよくあることです。
ここで「なんでやってないんだ!」と思わないわけではないですが、最小限にしたいです。怒って、圧迫したって、それはただの制圧。強制。何の意味もありません。
ただ、そういう感情が沸かないためにも、私は淡々と「はい、やってなかったの。次しますよ」というだけです。次できなかったら、また次。その次。
この点が恐いといわれるのは、正直仕方がないかなと思いますが、
もう少し、笑顔を見せられるようになりたいなというのが本音です。