私の『学び合い』史①
『学び合い』に出会ったのが6年前の2013年。
一気読みをした『学び合い』の手引書。
それから手探りではじめた実践。
「お前なにやってんの?」と言われるが怖くて、周りに相談するわけにもいかず、一人で試行錯誤し続けた日々。
ネットで知った2014年の『学び合い』フォーラム。ある実践者の発表を聞いたら自分の教室で起きていることとほとんど同じで、「同じことをしている人がいたんだ!」と興奮した。その実践者は、いまや学び合う会で一緒に学んでいるN先生。
2014年の6月。南市民センターで開催された『学び合い』の会に行くと、N先生をはじめ、いま一緒に学んでいる先生たちと出会う。その時の実践発表で女性の先生が涙ながらに話をしているのを聞いて心動かされた。なんと同期だった。
その会で、月一回の学習会のことを知った。早良区城西の学び館。おそるおそる戸をあけると、N先生とI先生。いまや福岡の会の柱になる方々。二人が討論すること3時間。それをひたすら聞き続けるだけ。でもその話はすべて納得できた。自分が1年半、悩み続けていたことだったからだ。
それからO先生と出会い、I先生から「12の物語」を作る話を聞いた。みんなで教室のことを語り続けた。自分も勇気を出して語った。すると11月に話さないか、と言われた。人生初の実践発表。
その会にはなんと西川先生も来ていた。
西川先生の前で「学び合い」と連呼。後から「『』だよ〜」と丁寧に教えて頂いたことを今でも忘れない。
2015年、2年間『学び合い』を実践した子達を卒業させた。子どもたちの卒業文集や保護者の声から『学び合い』は間違いない、と思いつつも、4月に異動になったので、異動先では確実な実践を行うために、覚悟を決める。
2015年、異動先の学校のクラスに何度か私のクラスに見学に来てくださる方が現れた。Yさん。その方から『学び合い』をもっと世に広めたいという夢を語って頂いた。私はそれに応えたいと思った。自分がそんな実践をしていることを不思議に思った。
2016年、県外出張をさせて頂き、和歌山県の紀美野町へ。この時見た全校『学び合い』と地域創成の志を知り、福岡の外にも出て学ぶことを目指す。その年の2016年末、保護者と子どもたちから大絶賛をうけ、一年を終える。この学校で『学び合い』を続けていく希望が湧く。
2017年、2度目の6年生。
色々ありすぎて書ききれないけど、『学び合い』でクラスが良くなるだけではダメだということを知る。
長くなってきたので続きはまた。
やっと
級訓ができてきました。
「どんなクラスにしたい?」と時々子どもたちに聞いてもピンときてないようだったので、
「運動会あけくらいでいいか」くらいに思っていたのですが、運動会に向けて子どもたちのモチベーションがなかなか上がらないな、と感じていたので、改めて「どんなクラスにしたい?その過程に運動会があるよ」という話をしていました。
それから何名か子達から「級訓プロジェクト」を募り、話し合いをすることになりました。
子どもたちは輪になって、話を進めました。
すごく話が右往左往したようですが、一つにまとまったようです。それから、クラス全員を呼んで、プロジェクトの子達に経緯を伝えてもらい、さらに意見を出して、文言を決めました。
今までにない形の級訓の決め方でしたが、これでよかった話じゃないかなー、と思いました。
クラス全員でやってもどうしてもモチベーションに差があるけど、有志を募れば話しが盛り上がる。「何でもいいよ」という子もいるはずなので、提案してくれたほうがいいという子もいるでしょうし、割とスムーズだったように思います。
私が手を貸したのは、最後の文言が決まらなかった時に、まとめを言ったこと。時間の関係もあって、決めなければいけない時は決める。
それが教師の役割でもあるんじゃないかな、と思いました。
たかが級訓。されど級訓。
子どもたちにとって一つの経験と学びになったかな。あとはデザインを決めたら完成です。
子どもが主役
子どもが主役
そんな言葉を何度か聞いてきました。
例えば、運動会。
音楽発表会。
卒業式…などなど
子どもが主役=教師は目立つな
という意味で使われることが多かったように思えます。例えば卒業式。
子どもが主役だから、教師は目立った格好をしてはいけない。などのように。
まあ、それはそうかもしれませんが
卒業式に向けて、子どもたちに教師の言わせたい事言わせて、姿勢を正させて、繰り返し練習をさせて…どこが主役なんだろう、とずっと思っていました。ひどい場合は怒鳴りつけたり…。
卒業式当日、子どもが主役なのは当然。運動会だって、音楽発表会だって。
でも当日だけじゃなくて、それまでの練習や準備も主役であるべきなんじゃないかな、と思います。
「子供が主役」というのなら。
私はここ数年、このような行事に向けて、「子どもと一緒につくる」と考えるようにしています。
お互いに目的を共有し、役割分担する。そうすれば、本番前まで教師が教えて、本番は子どもが実行するっていうのも、自分なりに納得がいきます。
私が長年続けている、器楽や吹奏楽では、指揮者と演奏者がいますが、どちらかが主役というものではありません。どちらも主役になり得ると思います。それぞれに役割がある、ともいえます。指揮者は、舞台の前でマイクトークを受けたり、拍手を受けたりして目立つことはあるけど、演奏中は指揮に以外で目立つことはないです。どちらかというと演奏者を引き立てたりすることが多いと思います。演奏者は、指揮者のように前にはでないけど、演奏の中心にいます。ソロだってあります。
そう考えると、子どもたちにダンスや音楽、表現の構成を教えたり考えたりする立場としての教師、実際に演技をする子どもは、発表するときこそ子どもが主役になりますが、そこまでは、「一緒につくる」関係になれるのではないかと思います。実際に私の最近のスタンスは、そういう感じなので、子どもたちを怒ったり、無理させたりしません。できる範囲で最大限のパフォーマンスを目指しています。
ちなみに私は運動会と音楽発表会に限っては、子どもたちが発表するだけでなく、自分の立場でできる演出をします。ダンスだったら、子どもたち以上に気合を入れて踊りますし、指揮者だったらソロをしたり、演出をしたりします。上の写真にあるように、私が演出をするのは、自分が楽しむと同時に、演奏者や会場を楽しい雰囲気にするためです。
そういうことに、抵抗もある方がいるかもしれませんが、演奏したり表現している子どもたちと「先生、ちょっとノリノリすぎー」「失敗したでしょー」なんて会話ができるのも、一緒にやっているからだと思います。
この投稿をするきっかけを下さったfru-tさんの思惑とはだいぶ離れてしまったと思いますが、私は「俺も主役だーーー!」って気持ちで時々子どもたちに接します。いつもじゃないですよ、時々です。
モチベーション
2019年の器楽同好会の活動がスタートしました。昨年まで続けていた子達と新しく来てくれた子達と卒業した中学生が集まりました。
子どもたちが輪になって自己紹介するのは、学級びらきのようです。早速4年生の教科書にのっている「茶色のこびん」を鍵盤ハーモニカ、リコーダー、打楽器を使って練習してました。
新しく来た3年生には、5、6年生や、卒業生たちが付き添って教えます。人は自然と教え合うんだなあ、と改めて思います。
何度か合奏を行い、終わった後に感想を聞きました。多くの子どもたちがニコニコしながら、「色んな楽器で演奏できてよかった」と言っていました。
昨日まで家庭訪問と仕事がてんこ盛りでヘロヘロでしたが、今日の子どもたちの姿を見て、すごくリフレッシュできました。
帰り際に役員のお母さんから「先生の教え子さんたちがたくさん来てますね。中学生も含めて。先生が音楽の楽しさを教えてくれたおかげです」と声をかけてくれました。ありがたい限りです。
学校の業務が忙しくて、このような音楽活動が学校から減っていく方向になっていくんだろう思いますし、残念でもありますが、私のできる限りのことはしていきたいと思っています。
最近感じたこと色々
今週は家庭訪問がありました。
保護者の方お一人ずつとお話をするのはとてもよいと思っています。
やっぱり面と向かってではないと話せないことはあります。
雑談をするからこそ得られることもあると思います。
家庭の状況を知ることもできます。
でも、勤務終了時間頃に訪問が終わって、学校に戻ってきた後は
結局仕事がたくさん残っています。
・テストの丸つけ(本当は授業時間内に終わらせたいけどできていない・・・)
・運動会の準備・打ち合わせ
・翌日の授業の準備(連休中にしたからよかったけど、やっぱり出てくる)
・訪問中に聞いたことのメモ
・時間割、お便り作成
大雑把にあげてもこれだけあります。
勤務時間は家庭訪問しているわけですから、残業しないとできるわけがありません。
家庭訪問って結構気力体力を使います。
もう10年近くやっていますが、やっぱり緊張します。
学校に戻ってきたらヘロヘロです。そのヘロヘロになった後も仕事があります。
落ち着いて考えると優先すべきは授業の準備等の仕事で家庭訪問じゃないように思います。
家庭訪問、大切なことはわかっていますが。
だからといってなくしてよいものか・・・とも思います。
減らせばいいってものでもない。
でも、減らさないとすべて残業になってしまう・・・
なんだろうなあとか思った1週間でした。
宿題が楽しい
今年度は宿題を思い切って変えました。
参考にしたのは↓
子どもの力を引き出す自主学習ノート 実践編 (ナツメ社教育書ブックス) https://www.amazon.co.jp/dp/4816354077/ref=cm_sw_r_cp_api_i_Hy10CbVQFDGBP
以前からこの本のような自主学習に関心があり、同じような取り組みをしている方のことも知っていたので、取り組もうと思っていたのですが、低学年を担任することになり、ずっと取り組めずにいました。
今年度は、高学年を担任させて頂いたので、以下の準備を行って、連休あけから毎日の宿題としても続けていくことにしました。
そのために行ったこと
・宿題は何のためにあるの自分の考えをもつ
・取り組みが自分の教育理念と一致していることを説明する
・周りへの理解を仰ぐ
・1学期に学習する新出漢字のテキストを終わらせる
・漢字や算数の復習は、自分でするべきことや量を考えられるようにする
・毎日の宿題の量と内容を自分で決める練習と、教師の点検を行う
です。
取り組んで数日、子どもたちの様子はというと
「今までで一番宿題が楽しいです!」
という声が。
家庭訪問中の保護者の方からも、「楽しそうに宿題しています」「合理的な取り組みです」
という話をして頂きました。
私も子どもたちの毎日の宿題を見るのが楽しみで、時折すげー!とか言っています。子どもたちのノートを何人かコピーして、共有できるようにして、さらにアイデアを広げてほしいなと思います。
子どもたちがやる気になって
楽しくて
力のつく学習
宿題に限らずだけど、
大事なことかな
疲れ
今日から家庭訪問
授業は午前中のみですが、
子どもたちを下校させてバタバタと出発
一軒ごとに挨拶して、ひとしきり喋っての繰り返し
帰ってきたら、今日の訪問をメモして、授業の準備をして、打ち合わせをして、雑用して・・・
ヘロヘロです。
疲れました。
家帰ってからも、仕事のことが頭から離れずソワソワしたのですが、思い切って何もしないことを選びました。
そして、同級生と電話。
お互いの近況を話していると、だんだんリラックスできていることに、気づきました。
あんまり加速しすぎるのもよくないですね。
非モテ男
Amazon primeビデオを活用して、連休は色々な映画を観ました。
今日観た映画はこれ
前から知っていたし、アニメや原作があるのも知っていたのですが「大切な人を失う系」の映画は観ても苦しいだけなので避けていました。しかし、連休なので余裕もあるし、興味もあったので観てみました。
・・・。
(以下ネタバレ)
うーん。って感じです。
おそらく、非モテ系の男が、快活な女子に開拓されていくという、よくある内容なのですが、ヒロインがどうしても元気すぎるというか、現実離れしているというか、男の妄想上の人物になってないか?と思うほどでした。病気を乗り越えようと、明るく振舞っていてるけど、実は・・・というのもまあありがちだし、最後は病気じゃなくて、通り魔に・・・っていうのもびっくり。そりゃないでしょ、と思ってしまう。現実味があるようで、現実離れしているから全然感情移入もできませんした。
必要だったかわからないけど、その出来事から数年後、教師になって戻ってきて、そこの生徒に過去の話をするっていう構成になっているんだけど、それもちょっとなあ・・・そんなくわしく自分の過去を生徒に話すか?たぶん言われるぞ「未練ありすぎて気持ち悪い」って。
ただ、まあこの映画を観て思ったことは、
「昔の恋をいつまでも大切な思い出として残していてもいいじゃないか!」
「ステキな子に自分を変えてもらうことに憧れてもいいじゃないか!」
ってことです。
というのも、私も似たような経験があるからです。
私は、高校時代、男子校に通っていたので、異性との関わりから程遠い生活をしていました。
部活は一生懸命していたのですが、時折クラスの友達や部活の先輩から異性との付き合いについて聞いたりするたびに、「いいなあ」という思いと「俺には無理だ」という思いがいつもありました。
私が高校時代に通学するために乗っていた電車の途中駅に、自分が第一志望にしていた共学の学校があり、同じ中学校からも通っている子達がいて、よく顔を合わせていました。私はその姿を見るたびに、悔しい気持ちと羨ましい気持ちを抱いていました。私にはかなわない、学校生活。青春。「俺は絶対にこっちの学校で頑張ってやるぜ!」と思っていても、毎日毎日、キラキラ輝くその学校の生徒を見るたびに、反骨心ばかり抱いていました。
しかし、人生というのは不思議なものです。異性との関わりが全くなかった私に、高校生活の後半にまさかの出会いがありました。詳しくはプライバシーにも関わるので書きませんが、その出会いは私の高校生活を一変させ、人生を変えた出来事だと思っています。
私の好きな映画に「電車男」という映画があります。
いわゆる「オタク」の男性が、ひょんな出会いから女性を知りあい、恋人になっていく話です。
主人公の不器用さ、ドキドキする緊張感・・・当時の自分と重なるところがあってとても共感できます。
この映画の最後に主人公がこう言います。
楽しくて、初めてだったんです・・・、人と・・・一緒にいて、
あんだけ、あっという間に時間が経って
また、すぐ会いたくなって 一人じゃ居れないって言うか・・
久しぶり、「君の膵臓を〜」を観て、「電車男」のこのセリフを思い出しました。
あれから十数年。先日地元に戻ったり、高校時代の仲間とあったりして、色々な思い出を振り返っていると、
ついこの間のように、この出会いのことも思い出しました。私にとっては、貴重な青春の思い出です。
小学校の先生になり、子どもたちから「好きな人」の話をよく聞きます。
私は恥ずかしげもなく、自分の話をすることがあります。
子どもたちは照れ隠しのために、冷やかしたり、バカにしたりすることがありますが、そんなのはもったいないよ、ということを伝えるためです。
「好きだ」と思うことは、心が成長している証拠じゃないか。
気になる人がいるってことは、楽しいじゃないか。
こんな年になって、はっきり言って「気持ち悪い」男ですが、私は子どもたちに語ります。
これは私にしかできないことだからです。
「昔の恋をいつまでも大切な思い出として残していてもいいじゃないか!」
「ステキな子に自分を変えてもらうことに憧れてもいいじゃないか!」
それを思い出させてくれただけでも「君の膵臓は〜」を観てよかったなと思います。
子どもの日
子どもの日。
息子と一緒に市民プールに出かけ、一緒に泳ぎました。
浅いプールでは、一人で遊んでいましたが、深いプールではさすがに足がつかないので、私が抱えたり、私につかまったりしていました。息子が私の手を握って私が後ろ向きに進むと、息子は泳いでいるように、足を伸ばして楽しんでいました。また、私の背中につかまって、私が平泳ぎをしたりしました。
1時間近くいましたが、とても満足したようでした。
この連休は、息子とずっと過ごしました。妻が仕事の日は二人きりの日も何日かありました。
息子は、妻がいる時といない時は態度が変わります。私と二人きりの時は、わりとしっかりしていて、話も通じますし、しっかり歩きます。(妻がいると甘えてしません)特に驚いたのが、私の育ちの故郷に帰った時。いち相棒のような存在になっていて、一緒に電車旅を楽しむことができました。
うまれてわずかだと思っていましたが、1年、1ヶ月ごとにどんどん成長していくことに驚いています。
そして最近、本当に愛おしく思うようになりました。これは不思議な感覚です。今までは何だったんだという話になりますが、その時はその時で可愛がっていたのに、です。今のような感覚ではありません。どこかお世話する相手、親としての義務を果たしている相手、そんなところが少しあったと思います。しかし、今はとても可愛くて、「我が子」と思えます。この先はまだ未知なので、さらに上があるのか、また変わるのかわかりませんが、「この子の親になったな」という気持ちなります。
それと同時に、他にも色々なことを思うようになりました。
まずは、仕事のこと。もう小学校の教師になって10年目になりますが、人様の子どもをずっと相手にしています。他人の子です。我が子ではありません。だからといって粗末にするとか、比べるというわけではなく、違うという感覚がはっきりしてきました。それぞれの子たちがだれかの親の「我が子」であり、生まれてきてから多くのストーリーがあることを想像できるようになりました。「きっと色々あったんだよね。そして今でも」そんな気持ちになって、大抵のことは許せるようになりました。また、懇談会やその他の場面で保護者と話す時も、同情できたり、そんなこともあるよね、と思えるようになりました。
時々、子どもが傷ついたり失われたりする報道やドラマを目にしますが、見てられないという気持ちになりました。以前まではどこか他人事のように感じていましたが、どうも最近は自分の子と重ねてしまい、身震いがしてしまいます。また、みんな子どもを守ろうとしているんだな、とも思えました。
最後に、子どもを人様に見せたくなる気持ち、欲求についてです。子どもができてからSNSに子どもの画像や出来事をアップする人が多い事、その気持ちがわかるようになりました。子どもが可愛いからこそ、人に見せたくなる、見せて反応をもらおうという気持ちなのかもしれません。私もなんとなくそういう傾向があると思います。が、基本的に子どもの写真をアップしたりすることはありません。あくまで私は、子どもとの思い出を発信しているだけで、子どもを他人に見せようと思っていませんし、承認欲求を満たす道具でも、自分の肩書きにもしていません。
お迎えに行くのが大変だ(お迎えに行っている自分えらい)
家事と両立するのが大変だ(家事と両立しようとする自分えらい)
子育てにはお金がかかるから大変だ(子どものために働いているのよ)
( )→承認欲求?
たしかにそうなんですが、「それ誰が選んだの?」って自分も含めて問い直さないといけないなと思います。
子どもが生まれてきたこと、成長すること、一緒に思い出をつくること・・・それが自分にとって大事であって、その分子育てによって「失われる」「大変」なことはあってしかるべきことではないかと思います。
とはいえ、誰にも認められずに、ただひたすら子育てをしていくのもしんどいことだらけだから、そういう発信をしたくなる気持ちはわかります。私もよく愚痴っています。「家事も子育ても仕事も・・・俺頑張りすぎじゃね?」みたいな。
子育てによって、自分の人生が豊かになっているのは間違いないです。
「いてくれてありがとう」という言葉が少しわかるようになった気がします。
でも、まだまだ子育て初心者。これからも頑張ります。
全国フォーラムのお知らせ
【『学び合い』全国フォーラム 再度お知らせ】
第15回教室『学び合い』フォーラム福岡大会は8月3日、4日を予定しています。諸事情により、詳しい内容や募集案内はまだ行えません。5月中にはお知らせできるように運営側で動いていますので、もうしばらくお待ちください。
また、8月3日、4日は福岡市内で有名アーティストによるコンサート等が行われる予定で、交通機関やホテル等が混雑することが予想されます。遠方からお越しの予定の方はご理解の程よろしくお願いいたします。
今回の福岡大会はテーマを「子育て・教育に勇気と希望を」とし、教員・教育関係者だけでなく、保護者、子ども、医療、福祉…など多様な方々が参加できる会とし、参加する方々がこれからの教育を考え、つながりをつくり、勇気と希望を持てることを期待しています。
予定しているゲストも九州内で活躍している方々です。よいフォーラムになるよう、実行委員会メンバーで昨年夏より準備を進めてきています。
令和がスタートしました。令和始めの福岡と長野の2つフォーラムが令和の新たな歴史のスタートになることを願っています。