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授業参観

今日は授業参観がありました。

 
理科の実験を授業で行いました。
4人のグループごとに実験して、結果を発表させました。子どもたちは楽しそうだし、保護者の方も近くで子どもたちの姿が見れました。1人1回発表して参観のための授業としてはよかったのではないかと思います。
 
でも授業していて「何か違うよな」って思いはありました。実験中はいわゆる「アクティブ・ラーニング」だったかもしれません。しかし、それはあくまで班の中。たった3人しか関われません。あまりにも限定的で、少数の交流です。これでは「アクティブ・ラーニング」の目的は達成できたとはいえないでしょう。
 
1人1回発表するには、誰でも答えられる発問が必要です。
子どもたちは元気よく手を挙げます。活発に見えて見栄えはいいです。
発表内容は「~は、~です」のように単発かつ一言です。
そして次の子がまた発表します。
1人が発表して20数人がそれを聞く。その繰り返し。
20数人が手を挙げても、当たるのは一回くらい。
確かに、「発表できた」とかいう自信にはなるだろうし
家に帰って「発表できたね」と保護者と会話はできるでしょう。
授業参観はそれでよいと思います。
 
でも普段の授業でそれをやるのはどうかなって思います。
 
一言話すだけ、他の子の発表をずっと聞くことでコミュニケーション能力がつくか。
お互いに理解し合える人間関係は築けるか。
分からないことを質問できるか。
 
発表中心ではかなり難しいんじゃないかと思います。
 
ちょっと話はそれますが、このような発表をつないで「対話」とする授業があるようです。「~は・・・だと思います。」「○さんは~といいましたが、私は~と思います」
のようにです。子ども同士でどんどんつなぐそうです。
 
私はこれに対して、少し抵抗があります。
そもそも普段の生活でそんな「対話」しないと思います。
面と向かって、「~じゃないの?」「いやあ~だと思うんだけどな」「え?それどういうこと?」と言い合うのが「対話」なんじゃないかなと思います。
 
一斉授業のいわゆる「発表」は
「全員発表するものだ」とか、「発表はつなぐものだ」とか「発表は最後まで聞くものだ」など教師も保護者もそんなものだと思っていて、子どもの多くもそう思っています。でも単純に考えて、それを実生活で使うのか、将来必要かと考えると「変かも?」と思う方もいるんじゃないかと思います。
 
だからといって、「発表文化なんかおかしい!」
「私はアクティブラーニングしかありえない!
なんて、声高に言ったりしません。(いいそうですが…)
授業参観で、保護者の方に子どもたちのやクラスのことを見てもらい理解してもらうことが、『学び合い』を理解してもらう方法の一つと思っています。
自分の中ではあまり煮え切りませんが、発表中心の授業もそのような形で行っていくつもりです。