GTOのブログ 『学び合い』で楽しい学校生活

福岡の小学校で『学び合い』を実践しています。

習熟度別学習

【習熟度別学習】

 

今日、となりで丸つけをしていた同学年の先生が、「あ~20点かあ。しっかり教えたのになあ。やっぱりわかってなかったなあ。3月くらいに3つのコースに分けて授業をするかな」とつぶやいていました。

 

私は、瞬間的に

「いや、それはやめましょう。子どもたちの中に格差を生むだけですよ」と言ってしまいました。

 

申し訳なかったなと後から思ってます。

おそらくその先生は悪気があったわけではないと思います。それぞれのレベルにあった授業をする、まあ普通に考えたらそんなにおかしなことではありません。

おそらくその先生は今のままで変わることがないので、習熟度別なら少しはよくなると考えたんだと思います。

 

それを真っ向から否定していました。とても反省しています。

 

なぜ私が「習熟度別」に抵抗があるのか。

以下の理由があります。

 

まず、学校は塾ではありません。

「多様なかかわりを通して子どもを大人にする」場所だと考えています。

だから、いわゆる算数ができる子とできない子を離してしまったら

関わるチャンスをなくしてしまうことになります。

いわゆる算数ができる子はペーパー上はできる子であっても、教えたり説明したりするのは不得意かもしれません。いわゆるできない子と一緒に学習することは、できる子にとって力をのばすチャンスです。さらにできない子ができるようになれば、その子はもちろん、お互い喜び合えるし、仲もよくなります。

 

 

私のクラスの子どもたちを見ていてすごく感じるのは、勉強の優劣は人間性の優劣を決めるものではないということです。教え合ったりしていても普段の人間関係に上下関係があるわけではありません。「困ったら助け合おうぜお互いに」そんな感じです。

 

しかし子どもが成長する中で、いつのまにか勉強のできるできないが、優劣を比べる指標になっていっていると思います。それの一つが習熟度別だと思います。

習熟度別を始めるとき子どもたちになんて説明するのでしょう?

「どんどん難しい問題にチャレンジしたい子はAコース。今までどおりはBコース。ゆっくり勉強したい子はCコース」とかでしょうか。

表向きはそんな感じなんでしょうけど、

私には「はい、勉強できる賢い子たちはAね~。ふつーの子はBで、勉強できない君たちはゆーっくりやるからCね」と言っているのと大差ないと思います。

 

もちろん、そのAコースの子たちは今まで分かりきっていた勉強をしないですむし、

Cコースの子たちは今まで早すぎてついていけなかった勉強が少しゆっくりになると思います。

 

それぞれにとってプラスになるかもしれません。

でも結局その3つの中でまた、できる、ふつう、できないに分かれると思います。

高校なんていい例です。同じレベルで選抜したはずなのに、上から下まで差がある。

みんなできるだったら、400人中、400人が難関の大学に進学しているはずです。

要は、3つとかいう分け方をするんじゃなくて、

子ども一人ひとりの習熟度別の学習を行わなければならないと思います。

それが本当の習熟度別学習だと私は考えています。

 

 

「習熟度別をしようか」とつぶやいた先生は悪くありません。

従来型の授業で子どもたち全員をできるようにするのは、至難の業です。

普通に授業したら、何人か分からない子がでる。これは仕方ありません。

だからその先生を真っ向から否定したのは良くなかったと反省しています。

自分の『学び合い』が理解してもらうためには、

「できない子ができるようになるのは理想ですよね。習熟度別もいいですが、

私のクラスと一緒に学習しませんか?」と言ってみればよかった。

とても反省しています。

 

まだまだなあ。