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予備校時代

西川純のメモ - 『学び合い』

 

西川先生の投稿を読んで、予備校に通っていた頃を思い出しました。

 

辛かった。

それだけが印象に残っている一年間でした。
朝起きて
予備校で授業受けて
自習室行って
予備校裏の公園に行って菓子パン食べて
自習室戻って
家帰って
飯食べて
勉強して。
それの繰り返し。
 
楽しい思い出なんて一つもありません。
 
何が辛いかって
「孤独」だったことです。
 
友達と一緒に楽しそうに話している予備校生を見るたびに、
「自分はあのようにはならない」と敵意みたいなものを持つと同時に
寂しさを感じていました。
 
当時通っていた代々木ゼミナールは、サテライトという衛星放送の授業もしていました。関東の有名講師が授業をしているわけです。
 
私はその授業の中で、
講師の先生が、学生時代や大人になった時の話をしてくれました。
そのたびに、自分が何のために勉強しているのか分からなくなりました。
 
「なんで大学に行きたいのか?」
「将来どうなりたいのか?」
「自分にとって何が大切なのか」
 
毎日毎日、考えていました。
現役の頃は、まったくそんなことも考えずに受験していたので、
改めて考えなおす機会にはなったと思います。
 
 
思い詰めて、一人の英語講師の先生に聞いたことがありました。
「これから何を目指して生きていけばいいんですか」
 
その先生は真剣な顔つきでした。たぶん、私の思い詰めていたことが伝わったのではにかと思います。
「君のようなことを言いに来る生徒は久しぶりだ。一つだけ言えることが、
そのもやもやした想いを膨らませて、大きく大きくすることだ。すまんが、君は僕の授業を今は受けていない。僕に言えることはここまでだ。」
 
と言いました。(これだけ記憶が鮮明なのも驚きです。)
 
それから私は、代々木ゼミナールのサテライトを利用して、いろいろな先生の講義を聞きました。授業のことよりも将来の生き方について、なにかヒントがほしかったからです。
 
結局、その当時出した結論は、
高校時代の経験から
「何か一生懸命に打ち込みたい」
「何かチームのリーダーのような仕事をしたい」
 
一番話が面白かった国語の講師の影響から
「高校の教師または、塾などの講師」
 
でした。
2~3か月悩みぬいて、出した答えがたったこれだけだから、いかに自分が狭い世界にいて、周りの世界をしる由もなかったんだと今になって思います。
 
親に、理系から文系へ変わることを告げ、
北海道大学で農学を勉強したいというのはなんだったんだと言われ
さらに親から冷たくされるようになり
私の孤独感はさらに強くなりました。
 
でも、自分の目標が何となく自分の中で決まってからは、
「自分は絶対に北海道に行く。たくさんの経験をする。」
という思いから、勉強は苦ではありませんでした。
毎日毎日、代々木ゼミナールの裏にある公園に行っては、
大好きな「Sing Sing Sing」を聞いていました。それだけが心の支えでした。
 
 
あっという間に受験の季節になりました。
センター試験では合格範囲の点数が取れましたが、
二次試験では思うように点がとれなかったのでしょう。
前期試験では第一志望に不合格になり、
後期試験では北海道教育大学を受験することになりました。
 
センター試験の点数からほぼ合格範囲だったものの、
もう一年も浪人生活なんてしたくありませんでしたから、必死でした。
 
何とか合格が決まりました。
「やっと終わった」というのが正直な気持ちでした。
親も同じような気持だったらしく、
「よく黙って一年間耐えた」と言われました。
 
なんでそんなこというのか、当時はよくわからなかったけど、
何の誘惑に負けることもなく、予備校でひたすら勉強するのが普通というわけではないみたいですね。まあ、私には、周りの世界なんて全く何も知りませんでしたから関係ないですけど。
 
さて、それから5年間の北海道生活が始まります。
まさかそれから小学校教師を目指すなんてこの頃全く考えてもいませんでした。
でも予備校時代に「自分はどんな生き方をしたいのか」
一年間考え続けていたので、大学に入ってからは、その気持ちがずっとあったのが
よかったと今では思っています。
 
あくまで私の経験ですが、このような経験から
私は「キャリア教育」の重要性をとても感じています。
もはやただ、勉強していたらいい時代ではなくなりました。
いわゆる偏差値の高い大学に入ればいいなんて時代ではなくなりました。
私は予備校生という狭い世界でしか物事考えられませんでしたから、
もっと周りの世界を知ることは重要ですし、(今はネットがあるので、昔ほどは問題ないですが)
 
「自分が将来どうなりたいか」ということを
もっと早くから考えておくべきだと思っています。
 
まさかそれが『学び合い』につながり、「アクティブラーニング」につながるとは
当時は全然想像してなかったですね」
 
 
最後に、私が今でも忘れられない代々木ゼミナール講師の言葉を書きます。
 
「人生に大事なことは思い出と仲間ですよ。どこの大学に行こうが関係ありません」
 
 
 孤独は辛い。
「1人も見捨てない」を1番願ってるのは、
わたし自身かもしれません。