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感動の最後の日

教師になりたての頃、

一年間の最後の日に子どもたちが涙することがありました。

それを見て、「ああ、いい一年だったんだなあ」って思えました。

 

その思いが強くなってきたのか、いつの日か

「最後は感動で終わる」

というイメージを自分の中で持つようになりました。

クラスの子みんなが涙を流して、輪になってなぐさめあって。。。

そんな終わりが理想になっていました。

 

それから最後の日は「思い出のアルバム」をピアノで弾いて歌うようになりました。

もともとピアノは全く弾けない人間だったので、ものすごく練習しました。

歌っていると、涙を流す子がたくさんいました。

自分も感極まる思いで弾きました。

 

事情があって弾かない年もありましたが、

最後の日は「感動で終わりたい」という思いは変わりません。

「思い出のアルバム」以外にもいろいろ考えてしたことがあります。

 

さて、今年は3年生担任なので、「思い出のアルバム」を弾こうかなと思い、今日子どもたちに話をしました。

まずは、歌詞を黒板に書いて、一度ピアノを弾いてみました。

子どもたちは「あー知ってる!」「これはいい歌だ」とくちぐちに言います。

子どもたちに聞きました。

「この曲を最後の日に歌ったら、どんな気持ちになると思う?」

「絶対泣く!」「感動する!」という返事が返ってきました。

 

その後聞いてみました。

「この曲を最後の日に歌ったら、泣いてしまう、または感動するなあと思う人?」

半分くらいの子が手を挙げました。

「じゃあ、明日は春休みだ、いえーい。という人」」

数人の子が手を挙げました。

 

あっけにとられました。

最後の日くらい、感動するかなと思いきや、「いえーい春休み」だそうです。

 

でも、改めてこのとき、感じました。

子どもたちは多様だ。いろんな子がいる。

「みんな全員で感動する」なんて、もちろん理想だけど、

それをこだわりすぎたら、教師の押し付けになってしまう。

それは感動と呼ぶべきものでもない。

「いえーい春休み」でもいいじゃないか。

 

そう思うとすーっと気持ちが軽くなりました。

おそらく「思い出のアルバム」は歌うだろうし、感動してくれる子もいるだろうけど、

そうでない子を否定しない。

 

クラスみんなで一つに、一致団結するのもいい。

でもその凝集性の中に、そうでない子もいることを知っておかないといけない。

 

教師が理想の子ども集団を作ろうとしすぎると、灯台元暮らしになってしまう

のではないかと思った出来事でした。