厳しいと恐い
私は厳しい方だと思います。おそらく。
時間にルーズなのは許さないし、ごまかしは許しません。
いいかげんに書いたり、つくったりすることを認めません。
勉強の質を高めるように子どもたちに言いますし、その上周りを見ることを要求します。
要は細かいんです。くどくどくど…そんな感じだと思っています。
だからといって、「なんでできないんだ!」と子どもたちを圧迫させたり、怒鳴って子どもたちを委縮させるつもりもありません。
ただ、厳しくしていることを子どもたちは「先生は怒っている」と捉えているようなんです。「時間を守りますよ」「次は気をつけようね」などの注意は、淡々と言っていますし、「丁寧にしましょう」など、細かくいろいろ言っている時に、笑顔はあまりない。
子どもたちの言う通りかもしれません。
だから、こんなに厳しくしなくてもいいのかなって思うことがよくあります。
厳しくしすぎて圧迫しないように、ほどほどに言ったりしようと思うこともあります。
だから、心の底で「まあしょうがないか」という気持ちも持っています。
あんまり気持ちを込めると感情的になってしまうからです。
宿題を忘れてきた子が、「休み時間にする」と言ったのに、実は遊んでいた、とか
「仕事をした」と言っていたのに、実はさぼっていた、とかよくあることです。
ここで「なんでやってないんだ!」と思わないわけではないですが、最小限にしたいです。怒って、圧迫したって、それはただの制圧。強制。何の意味もありません。
ただ、そういう感情が沸かないためにも、私は淡々と「はい、やってなかったの。次しますよ」というだけです。次できなかったら、また次。その次。
この点が恐いといわれるのは、正直仕方がないかなと思いますが、
もう少し、笑顔を見せられるようになりたいなというのが本音です。