おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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厳しくて甘くない。

私は、甘くないと思います。

質が下がったり、何か損をするようなことに対しては、口出しします。

勉強をいい加減にしていて、時間を無駄にしたり、

いい加減に作業をしていて、質を下げたり、

時間を無駄にしていることに気づいていなかったり、

そういうことには、口出ししています。

「厳しい」とも言えるかもしれません。

 

「恐さ」は求めていません。

子どもたちを威圧して従わせたり、勉強させたり、守らせたり・・・

そういうことをしたいとは思っていません。

 

残念ながら、「厳しさ」と「恐さ」を同時に与えてしまうことがあるようです。

完全に私の責任なのですが、「ちがうのになあ」と言い訳をしたくもなります。

だから時々「怒ってないよ」といいます。

私が話をするときはどうも、怒っているように見えるからです。

また、真剣に話す時は、どうしても無表情になってしまうので、「怒っている」と思われがちです。

一方で、私は怒っているわけじゃない、とわかってきている子もいます。どういう時に私に関わればいいか、わかるようで、合わせてくれて本当に、有難いです。

 

子どもたちは私に甘えません。

「これくらいでいいでしょ」なんてことはしません。私に言われるからです。

授業中に私に確認を求められているものを持ってくる時もおそるおそるです。

心の中で「あらまあ、そんなに恐れなくても」と心の中で少し笑いながら、答えています。

「これ全然わからないよ」「もう一回」「誰がこれを納得したの?」

子どもたちは黙り込みます。

そして、ほかの子のところにいって、「頼む、教えて!」と話し合います。

教える方も、どうしたら私にokもらえるか、説明するために必死です。

お互いに真剣な表情です。

 

私は具体的なアドバイスはギリギリまでしません。

私がアドバイスするときは、子ども集団でも解決できないときです。

でも、授業の内容だったら、解決できないものはほとんどありません。

解決できないものは、私の課題にも問題があります。

 

「厳しい」といっても「ノート10ページに漢字練習しろ」「計算ドリルを10ページしろ」とかそういうことを言っているのではありません。私が厳しくしているのは、量ではなく質です。

学校にいる時間は決まっています。学習する時間は決まっています。

量を増やして成果をあげようなんてできません。

質をあげるしかありません。

質をあげるには、子どもたちに要求します。「やろうぜ」と。

できなくても「なんでできないんだ」とは言わない。

できたところまでで「ここまでできたな」で終わり。次にいく。

 

指導計画上、どうしても終わらせなくてはいけないものがあるというのが、最近の悩み。

次の学年、次の単元までひっぱれたらいいのにな、と最近すごく思う。

 

雲梯わたれるために、どれだけ時間がかかるかって、わからないじゃん。

逆上がりできるために、何年生でできるかってわからないじゃん。

かけ算だって同じゃないの?って思う。