温度差があってでも
昨日は参観懇談会でした。
懇談会では、いつにもまして熱が入りました。
直接自分の考えを言う数少ない機会だったので、使わせてもらいました。
おそらく、温度差を感じた方も多かったと思います。
「誰と仲良くしているか」
「勉強についていっているか」
「習い事をどうしたらいいか」
などを知りたい保護者の方々にとって、私の話は暑苦しかったと思います。私が訴えたことなんて、本当にその身に起きてみないと現実味を感じないと思います。もしかしたら起きないかもしれません。
でも、その本当にその身に起きた時じゃ、遅い。
以前も同じように、熱を入れて話すことがありました。
懇談会だけでなく、職場内でも。いろんなところでも。
しかし、私が一人で吠えたところで、何にも伝わらないことはわかりました。だから地道に、できることをしてきました。自分の考えを周りに丁寧に伝えていくことを心がけました。
でも
「道徳の授業を通じて、児童生徒の心に響くような指導を」
「いじめゼロをめざそう!子どもの笑顔のために」
「教員のメンタルヘルス。笑顔で働き、定時に帰ろう」
なんて文章を見ると、今まで心の中にしまっていた感情が溢れました。
こんな呑気なこと言ってられない。
ちょっと周りを見渡せばいるははずなんです。
苦しんでいる子ども、先生、親。
そのすべてを救うことなんかできるわけないし、私にできることなんて限られています。でも、それじゃあダメだよな、とやっぱり思うわけなんです。
2015年、大切な友人や、職場仲間を救えなかった。
その時のことを考えると焦りが、怒りが、悔しさが溢れる。
「一人も見捨てない」なんて、私に語る資格は本当はありません。
ネガティブな感情をエネルギーにすると、周りと温度差が生まれるし、自分自身も疲れてくることもわかります。
でもやっぱりダメなんですよ。のんびりしてられない。昨日はそんな想いで語らせてもらいました。私が学級担任としてできるのは、あとわずか。