覚悟123②
もう一つのクラス。
以前のクラスの失敗というか、苦しかった経験から、最初から守りに入っていたと思います。
失敗しても傷つかないように、「どうせ」という言い訳を作っていたと思います。
そして、目標が達成できなかった時も「やっぱりそうだよな」とどこか、
他の何かに原因を求めていたと思います。
最初から最後まで、多分本心で願っていなかったのかもしれません。
それなりに結果は出たと思います。
変化や成長もありました。
このクラスだからこそできたことはありました。
でも結局できなかったこともあります。
できなかった原因はやっぱり私です。
言い訳ですが、あの当時は、自分がダメにならないように守ることも必要でした。
本当に苦しい時が続きました。
それに歯を食いしばりながら、語り続けました。
というより倒れては元も子もなかったので、よくバランスをとっていたと思います。
しかし、「守り」を作っていたのは間違いありません。そこを打破していたら、もっと何かが変わっていた
かもしれません。あと、焦りはやっぱりありました。我慢できなかった。
覚悟を持つことは苦しい。
信じ続けることは苦しい。
『学び合い』のセオリーを貫くのは苦しい。
でもどんなに苦しくても、願いつづけることで、自分でも想像つかないようなことが起こる。
それが『学び合い』であり、こどもたちの力を信じるということではないかと思います。
「あいつがいるから無理だ」
「支援がいるから、できるわけない」
「学力が低いから無理だ」
「手立てが必要だ」
言い訳を並べればいくらでもできます。
じゃあ、それらがなくなったら『学び合い』はできるのか。
『学び合い』はいつになったらできるのか。
(つづく)