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大阪旅行記①

【大阪旅行記①】


午前中は、追手門学院大手前中のF先生の授業見学をさせて頂きました。F先生は以前からたくさんお話を聞かせて頂いていましたが授業を見るのははじめてでした。

 


まず、先生がA4用紙2枚のプリントで、今日の授業のことや学級のこと、学校のことを書いてまとめて下さっていたのでそれを読みました。

先生の考えや、授業を見る視点のヒントになると思いました。

 


その後教室へ。

今日見ようと思っていた先生の言動は

 


・先生が授業のはじめにどんなことを、どのくらいの時間をかけて話すのか。

・授業中、先生はどこにいて、どんな表情で、どんなところを見ているのか。どんな声かけをするのか。

・先生は授業の後半にどんな関わり方をするのか

・先生は授業の最後に、どんなことを、どのくらいの時間をかけて話すのか。

 

 

 

私が想像していた以上に先生は短くシンプルに語っていました。洗練されている、と言えるのかもしれません。また、言葉かけや、ウロウロ見て回ることも私の想像よりはかなり少ない。でも最後の語りの中のほんの短い言葉の中に先生の気持ちというか願いがこもっていたように感じました。

 


ああなるほど、先生が私たちにプリントを通じて伝えた課題、『学び合い』を続けていくために何が必要か。それは、あれこれ付け加えるのではなく、シンプルに願いを語り、信じて待つ。ではないかと思いました。

 


私は『学び合い』を実践していると何をどう語るとか、どのように課題をつくるとか、考えてしまいます。子どもたちの姿を見ているとあれこれ手立てをうたないといけないとか、課題を達成しなきゃとか、そんな気持ちになってしまいます。

 


結果的に、色々なものを付け足してしまいます。

語りが長くなったり、熱が入って願いが「要求」になってたり、教室をウロウロしてみて子どもたちの学習状況をチェックしてみたり、声をかけすぎてしまったり。

 


でもそれらって結局、『学び合い』の子ども観を信じれてないからだと思います。

 


F先生の言動を見ていると「え、それだけ?」と思ってしまうかもしれません。それは『学び合い』の子ども観をとことん貫き、子どもたち信じているからこそ、色々なものが削ぎ落とされてシンプル・洗練された言動になっているのではないかと思います。授業中の先生のあらゆる態度から「俺はお前らを信じてるぞ」が伝わってくる、そんな感じがします。

 


私はここまでシンプルで洗練された『学び合い』を始めて見ました。そして、自分の『学び合い』を見直す指標になりました。

 


自分の『学び合い』はまだまだ付け足しすぎ、不安感を押し付けすぎ。きつい言い方すれば、子どもの有能さを信じてない。でもそれは来週にでも解消できること。自分自身に相当な覚悟さえあれば。

 


きっとできる。

そんな気持ちになれました。

ありがとうございました。F先生。