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我が育ちの故郷

 

【完全に自分のことを書きまくっただけです】

 

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久しぶりに自分の故郷に行きました。

「故郷」といっても私にとってはいくつかあって

 

生まれ〜小1 東京都清瀬市 

小2〜高3+α 福岡県古賀市 

大1〜大4+α 北海道札幌市

就職〜現在  福岡県福岡市

 

と過ごしてきたため、今回行った古賀市は「育ち故郷」とも言えると思います。

 

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駅に着くと目に留まるのが「サンリブ

このショッピングセンターは、私と私の家族にとって一番の買い物スポットであり、色々な思い出のある場所です。小学生の頃は買い物はもちろん、ゲームセンターにもよく行きましたし、イベントもよくやっていました。中学生以降は行く機会は減ったものの、やっぱり何か買い物があればサンリブ、そんなところでした。

 

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古賀駅

あいかわらず何もない笑

昔あった店が何だったかなと思うようになっていましたが、

よく駅前で行っていたのは「わんぱくこぞう」というゲームショップ

隣に本屋もあったなあ。駅前には天神愛眼もあったはずなのに、なくなってたな。

駅前通をちょっといったところに「こうのいけ」という床屋があって、小学生の時よく行ったっけ。そうそう、中学3年の後半に塾に通ったけど、その塾も駅の近くだったよな。

 

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さて、タクシーを使ってついたのが12年間住んでいた団地。

今でも残っているけど、周りは少し雰囲気が変わっていました。

「A棟グラウンド」と呼ばれる広い敷地は、大学になっていました。

昔はそのグラウンドで地域のソフトボールチームの練習したり、地域の運動会したりしてたな。

 

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「バレーコート」と呼ばれる空き地。

たしかにバレーボールができるようになっていたと思うけど、バレーボールをしているところを見たことがない。ここは子どもたちが遊ぶ場。みんなが集まってきていた。野球したり、サッカーしたり、バスケしたり・・・遊びのほとんどがこの場所だったと思います。夏休みのラジオ体操もここでやってたな。

金網が破られて子どもが通れるようになっていたのが面白い。

 

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この公園も後からできたんだっけ。元々は空き地になっていて、よく野球やってたな。

はじめてホームラン(バレーコートに入ること)を打った時のことは今でも覚えています。

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この木を見て、「あ、変わっていない」と思いました。でもなんか違うのは自分の身長が伸びたからだろうか。

いや、高校生の頃には今と同じ身長だったはずだから、単純に懐かしくなっただけかな。不思議な気持ちにさせてくれる木です。

 

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家の下のスペース。カラッカラになっているけど、もとは砂場だったんだよな。ここでもよく遊んだっけ。

水遊びしまくって、片付けもしないでね・・・。大きくなってからは、この砂場の近くで友達と話し続けたこともあったなあ。自分の家だったところは空き家になっていました。団地をぐるりと見渡すとどうやら空き家が多そうでした。時代の変化なのか、少子化の流れなのか、建物の老朽化なのか・・・住んでいる人が減ってきたんだね。住む人が減って、時代が変われば「砂場」なんか作らないよなあ。

 

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「山公園」って言われていたはずの場所。「なんだよ、山なくなってんじゃん。」って笑った。

ここでよく缶蹴りしたんだよな。鬼ごっこもだいたいここ。

 

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集会所のスペース。そうそう、ここで習字をならっていました。子ども会のイベントもだいたいここでやっていました。小学生の頃は毎週水曜日ここに通って、帰ったらドラゴンボール。そんな日々の繰り返しだったな。

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かせんていという団子屋さんは今でも残っていました。残念ながらおやすみだったけど。

隣にセブンイレブンがあったはずだけど、なくなっていました。ここのセブンイレブンにはかなりお世話になったのにな。この通り沿いでいったら、郵便局があった横に古本屋があって、坂をくだった先に、「はんちゃや」があって、学校の方にむかったところに酒屋さんがあって、夏祭りがあって・・・。賑やかだったなあ。

小学生の私たちは、通学路とかまるで無視。民家の横通るわ、敷地内通るわ、寄り道するわ・・・今じゃあ指導の対象ですよ。十数年前はまだ緩かったんだなあ。

 

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家のまわりをぐるりと周って、駅に戻ることにしました。この一本道をまっすぐ1キロちょっと行けば、駅です。高校生+αの時に、この道を自転車で毎日行き来していました。朝は5時55分の始発に乗るために、5時半くらいに行き、夜は9時半くらいに家についていました。今考えたら、よく何もなかったよね。家にいるのは、ほんの寝ている数時間だけ。毎日毎日眠くて、車内で勉強しようとしても、全然すすまず、寝るか音楽を聞くかしていました。

あ、涙流しながら、横を通る電車に向かって叫ぶとかいうドラマっぽいこともしたことがあります。

本当にあの時は叫びたい思いだったんだよな。

 

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ホームのこの場所にたつと+αの時のことを思い出します。

ただただ、大学合格という一つの目標のために1年間予備校に通い続け、勉強し続けた毎日。

自分の力だけでモチベーションあげて、自分の力だけで学んでいました。

本当に孤独でした。

「受験勉強に仲間はいらない」「一人で勉強するべき」とかいう意見もあるでしょうし、

私の親もそういうタイプでしたけど、今でも私は思います。

「仲間がいたらどんなによかったか」

小学校の教師になって、仲間をつくることを語り続けているのも、これが原点なのかもしれません。

孤独に耐えながら、自分と向き合い、目指す大人を探し、小説を読み耽り、勉強した1年間。

もう一回やれと言われたら、二度とやりたくないとも言える1年間ですが、今の自分を形づくる1年間だったのではないかと思います。

 

この1年間を最後に私は古賀市を離れ、北海道に向かうことになります。

飛び立ちたいと思っていた場所は、戻ってみると色々な思い出に満ちていました。

まだまだ書き足りない12年間。

それは私の中でずっと残っているし、その思い出を彷彿させてくれる場所が今でも残っています。

親の支えがあり、色々な出会いがあり、色々な経験がありました。

以外と学校生活の思い出があまり出てこないのは不思議ですが、小学校や中学校に行けば、また思い出すでしょう。やっぱり小中高という大きな成長をする時間の12年間は大人になってからの12年間と違うでしょうね。

 

胸の奥があったかいような、締め付けられるようなそんな思いをしながら書きました。

もし最後まで読んだ方、なんの得にもならない文を読んでくださりありがとうございます。

私のことが少しわかったかもしれませんね笑