おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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マスクに慣れた子どもたち

 

新型コロナが流行して、3度目の夏がやってきます。

news.livedoor.com

政府がやっと「マスクを外してもよい」と公言しました。

「熱中症のリスクが高くなる」とか「距離を十分に取れば」という条件つきですけれど

「外してよい」は大きな一歩だと思います。

 

自分も含めて「みんながマスクしているからつけておこう」でマスクを屋外でつけている人は多いと思います。ただ一定数の人は「屋外のマスクは意味がない」と思っていたと思うので、「周りもつけてないから、外そう」に変われば状況は変わるはずです。

 

何より私が「よかった」と思うのが子どもたちのこと。

 

大人と同じように、子どもたちも一日中マスクをしています。

体育だろうが、外で遊ぶ時だろうが、マスクをしています。

「外してもいいよ」と言っても外さない子が多いです。

 

感染が怖いというより、マスクをつけていることに慣れているから、外すことに違和感があるのでしょう。大人も含めてだんだん周りが外すようになったら、子どもたちの心境も変化してくるはずです。

 

願わくば、熱中症の心配だからとかではなく、暑い時期以外でも「屋外はマスクを外す」が浸透していけばいいのですが、外すための第一歩としては今が一番いいのだろうなと思います。

 

子どもたちの表情が見える学校に戻ってほしいです。

 

それにしても、マスクの着用なんて法律上の決まりでもなんでもないのに、

日本人はほとんどがそれを守って、政府が「外していいよ」って言わないと外さないのって

ずいぶんトップダウンに慣れた国民だなと思います。

 

アメリカのメジャーリーグの報道みてたら、ほとんどの人がつけてないよね。

 

 

#教員不足をなくそう

www3.nhk.or.jp

 

他人事ではなく、目の前で起きていることです。

確かに足りない。もっと状況が厳しいところもあると聞きます。

 

ただ、このまま「足りない」「足りない」と言っても現状は何も変わらないように思います。

そうこうしている間にも、子どもたちは学校にやってくるし、教育に求められることは変わりません。

 

しかし、教員不足に対して本気になって問題意識を持っている人が教員側、行政側、そして世間にもどれだけあるのだろうか、と思います。

 

教員「文科省がー」「教育委員会がー」

行政「学校がー」

世間「先生たちはー」

 

と言うだけでは何も変わりません。

 

他人事ではなく自分事として考え、行動することが、教員不足を解消することの一歩だと思います。

 

教員が足りないこと、教員が足りなくなることによる弊害は明白なわけです。

 

 

子どもたちに影響が出る

 

 

だから動き出さないといけません。現状、綱渡り状態であることに棚上げせず、できることをやっていかなければ、問題は悪化する一方です。

 

私自身、できることをやっていきます。

私にできることは、今いる先生たちが気持ちよく過ごせること。

雑談、相談ができる環境づくりを行うことです。

『学び合い』が広がれば様々なことが改善すると思うのですが、

これはまだもう少し様子見。

少しずつできることをしていきたいです。

イキイキしている

 

最近、妻から「イキイキしている」と言われます。

学校に戻って、ハードな4月を乗り越えた今、少し余裕が出てきたのかもしれません。

または、新たな試みを行うために日々作業に集中しているからかもしれません。

いずれにしても、今の環境は自分に合っているんだろうなと思います。

 

ただ、それも「考え方」によるのかなとも思います。

最近の私は職場に着いたら、ほとんど自分の仕事ができません。

たいてい、お休みの先生のクラスに入るか、特定の子の支援を行っています。

 

でも、それがそんなに苦ではないのです。

自分の仕事はその隙間に行ったり、家ですればなんとかなります。

いかにそれをうまくやるかを考えるのが僕のチャレンジ精神を燃やすのかなと思います。

もちろん、教室に入るのも、子どもと関わるのも楽しいです。

 

今までは担任として、自分のクラスにずっと張り付きで、考えることもたくさんあったし、

子どもや保護者に対して責任もたくさんありました。しかし今は、それがありません。

ただ教室に入る、子どもと関わることがどれだけ精神的に楽か、今になって知りました。

 

だからこそ「自分の仕事」が後回しになってもいいかなと思えているんだと思います。

もちろん、自分の仕事も滞れば他の人に迷惑がかかるものが多いので、手は抜きません。

ただ、上にも書いたように「なんとかなる」のです。

 

そして、今いくつかの仕事で新たな試みを行っています。

これを通すことができれば、環境をよりよくすることができるでしょう。

楽しみでしかありません。

 

さあ、今日から、今週はどんな1週間になるのでしょうか。

こんな前向きな気持ちでいながら、実際はとてつもなく大変かもしれません。

 

 

P.S 朝活ブログ、結構いいです。

 

まずは『学び合い』で

『学び合い』の「先」をどのように目指していくか

 

僕が学級担任として『学び合い』を実践していく上で考えていたことの一つでした。

「先」には結局「何がしたいか」という自分自身との問答があり

『学び合い』を実践することの深さを痛感していたのですが

なんかもうそれ「以前」のことを最近感じています。

それは・・・

 

 

 

まずは『学び合い』をやってみたら?

 

 

 

 

 

このブログにも最近何度か書いたように思いますが、

『学び合い』の質とか、『学び合い』の是非とか言う前に、

ひとまず『学び合い』をやってみたほうがいい気がします。

答えはすぐそこにあるのに、なんだか別の答えを求めてぐるぐるさまよい、問題を膨らませている気がしてなりません。

 

 

 

学力が厳しい

教室でじっとしてられない

問題行動が多い

 

 

そのような課題に対して、

医療の介入したり、支援を考えたり、保護者と連携したり・・・

とても大事なことだと思いますが、まずは『学び合い』やってみたら、と思います。

ほとんどの場合、『学び合い』で解決するレベルのことが多いように思います。

なんでもかんでも大人の力で解決しようとするから、泥沼にはまり、問題が大きくなるように思います。

 

 

教えるのが楽しい(頭を使うから)

分からないことを聞けるのは楽しい

 

 

これだけで学校での学びは大きく変わるのにな、と思います。

 

 

とはいえ、一人でこんなことをぼやいていても現状は変わらない。

何からしていこうか。ひとまず周りから信頼してもらえるような言動を続けていくしか

ないかな。いつかきっと、関心のある人が見つかるはず。

 

 

元に戻りたいけど

地元でお祭りがありました。

 

「観覧の自粛を」とか「距離をあけて」とか呼びかけられていたけど

 

人はたくさん集まっていました。

 

コロナ以前と同じ状態です。

 

もう、それでいいんじゃないかなって思います。

 

「街に活気を」を目指そうとしているのに「自粛してください」なんて不自然でしょう。

 

確かに、コロナが流行はじめた頃、ワクチンがまだなかった頃は気をつけなければいけなかった。人が移動すれば、人は集まるんだから、控える必要はあった。

 

でも今は、それを制限する措置なんてない。

 

「感染対策を行う」

 

がマスクと消毒液。

もはやお守りみたいな状態。いったい今の現状に、どれだけ必要なのだろう。

 

学校はずっとこの状態。

子どもが集まるのに「感染対策の徹底」と言われ続けている。

 

元に戻していいんじゃないのって思う人が増えてきても、学校はお上が決めないと変わらない。それがもどかしい。

 

 

マスクをはずして、お互いの表情が見れて、関わり合って・・・

もう元に戻そうよ。学校も。

区切り

毎年参加したお祭りに今年は参加しませんでした。

理由は二つあります。

 

・知り合いが少なくなった

・仕事がしたかった

 

元々、同窓会のような意味合いで参加していたお祭り。

参加するたびに、懐かしい顔ぶれと顔を合わせるのは楽しいものでしたが、

だんだんその顔ぶれも変わっていき、少し気まずさも感じるようになりました。

先日、お世話になった方の退職記念パーティーに参加したので、一つの区切りをつけることができたのものあります。

自分の得にならないものに参加しても価値がない。そう感じるものは、どんどん切っていく

必要があると今までの経験上感じています。

だって自分の人生なんだもの。

 

もう一つは仕事がしたかったから。

4月から学校に復帰し、新しい立場になり1ヶ月が経ちました。

ある程度仕事にも区切りがつきましたが、今は次の仕事に向かっています。

おそらく勝負をかけるところだと思っています。

 

今まで学んできたこと、経験してきたことを発揮するところです。

そのための資料を作っています。

 

多くの人から「何そんなに熱くなってるの?」と思われるかもしれません。

昨年度はそれで失敗しました。

だから、サラッと。でも大事なところはしっかりと。

そんな気持ちで仕事をしています。

 

種を蒔く

そんな気持ちです。

 

 

駄目学校と言われても

いろいろ思うところのあったことに重なる記事だったので引用します。

www.jun24kawa.com

 

何が問題なのかもわかっている。

何をすればいいかもわかっている。

駄目学校と言われて、焦っても動かない。

じっくり、チャンスを伺って、その時まで種を蒔く。

志は高く。

教務としての4月[blog.ver]

 【Facebookで書いた内容に加筆しています】

 

 

4月1日に学校に復帰し、初教務としてスタート。おそらく4月の教務の業務で一番大きい「年間指導計画」を提出して、4月の勤務を終えました。
 

 

 

「年間指導計画」は学級担任も作成に携わるので、その存在を多少は知ってはいたものの、実際に作成してみてその大変さを知りました。本来であれば、前年度に7割近くを作成して、新年度見直したり、書き足したりするものなのですが、諸々の事情があって2割からのスタートでした。
 
実際のところ、日中は様々な業務が舞い込むため、年間指導計画の作成をする余裕などほとんどなく、早朝や休日が主でした。
 
初めて作成をしたというのもありますが、一番困ったのが「授業時数」です。
年間の行事計画をもとに5時間を何回、6時間を何回と月毎に決めていくわけですが、各学校でどんな行事や昨今のコロナ情勢によって何時間配置するのか微妙に違います。そして行事や5時間授業をつくりすぎると必ず満たさなければならない「標準時数」を5、6年生は下回ってしまいます。
その上で、何月に何時間各教科の授業を行えば、標準時数を満たすのか、配分を考えないといけません。はっきりいって、この作業はかなりの時間を要するので、前年度に何ヶ月かかけて行うものですが、私はこの4月でこれをやりました。
 
「なんでこんなことをやらなきゃいけないんだ」
「こんな無茶なことををやっているのを誰も知らないなんて悔しい」
 
と思うこともありましたが、ピンチはチャンス。
いろんな人に相談して、助けてもらったり、教えてもらったりして、次年度の年間計画を作成する時に学ぶことを前借りして学ぶことができました。
 

 

 

3週間かけて土台になる授業時数が完成し、学年主任の先生たちに書類を配布をしたのですが、大きな反応はなし。本来なら4月1日に出すものなので、当然の反応なのですが、やっぱりショック。「担任は見えない膨大な仕事量を抱えているのが教務」と痛感しました。それと同時に、今まで関わってきた教務の先生がこんな仕事をしていたのか・・・と今になって知りました。
 

 

 

とはいえ、4月の終わり頃には年間指導計画の目処が立ってきたからか、仕事に慣れてきたからか、妻から「なんだかイキイキしているね」と言われるようになりました。おそらく、飛び込みで入ったクラスで「担任業」をして、今までの経験を活かすことができたことや、子どもたちとのつながりが増えたからではないかと思います。そして、自画自賛ですが、私「飛び込み担任能力」は結構高いと思います。
 
小学校1年生だったら、こんな指示を出せばいい。
小学校3年生だったら、こんな話をしたら勉強に集中する。
小学校4年生だったら、こんな話をしたら説得力が増す。
 
授業ができるかどうかも大事ですが、子どもたちへの言葉かけ次第で、子どもたちの動きが変わるのは教師の職能だと思います。「俺、まあまあできるじゃん」と自分を褒めて、自己肯定感を高めていました(笑)
 
時々疲れて早く帰宅したり、イライラして気分転換したり・・・「無理しすぎないように」なんて言葉に対して「無理しないと仕事終わらねえよ」感じでしたが、自分の心身のバランスを整えることもこの数年で学んだスキル。こんなことをしながら、なんとか4月を乗り越えました。
 

 

 

明日から連休。少し落ち着いたらこの4月にうまくいかなかった仕事や効率の悪かったことをすべて書き出して記録をしておきたいと思います。来年の4月に同じ仕事をしているかはわかりませんが、準備をしておきたいです。というより、悔しい。こんなに焦って、震えて、謝り続けてながら仕事したのは、本望ではありません。
 
必要な仕事はシンプルにして、もっとクリエイティブな仕事がしたい。校務のデジタル化や学習評価の充実、ICT活用推進をしていきたい。一部の同僚と授業づくりや研修をしていきたいし、上に書いたように子どもたちと「学び」の関わりがしたい。
 

 

とにもかくにも、4月の自分に対して一言。

お疲れ様。本当によくやった。

解決策

学校における様々な問題は『学び合い』で解決(または改善)できるのに・・・

 

そんなことを最近改めて思います。

学校における様々な問題の中でも「子どもの問題行動」に焦点を当てて考えると、

これもまた理由は様々だとは思いますが、その多くは

 

 

勉強がつまらない

 

 

ことが理由の一つではないかと思います。

学校現場では、教師のあいだでは「授業改善」といって研究授業をしたり、研修を受けたりしていますが、根本的なことを変えない限り、どんなに研究や研修をやっても、同じことの繰り返しだと思います。

 

 

その根本とは「勉強が一人ひとりに合っていない」ということです。だから一部の子は「勉強がつまらない」と感じ、その中の一部が問題行動を起こすと思います。

 

 

一方『学び合い』は一人ひとりのペースで学習できるし、分からなくても周りに聞くことができます。課題が簡単に感じる子にとっては、人に教えることで満足感や達成感を感じることができ、さらに人に教えることで自分が学ぶことができることを実感するでしょう。おそらく、「勉強がつまらない」と思う子はそんなに多くありません。

 

 

ただ、『学び合い』をするには、『学び合い』に反対する親、子、同僚に丁寧に話をする必要があります。ここを乗り越えられるかどうかです。簡単ではありません。でも、乗り越えた先には、子どもたちの問題行動は減り、子どもたちは一気に成長します。もちろん、すべてが解決できるわけではありませんが、何もしないよりはマシです。

 

 

教員不足がどんどん深刻になっている今、もう大人の力だけで解決していくのは無理です。

はやく方向転換しないと。本当は数年前からわかっていたことなんだけどね。

飛び込み授業で必要なスキル

 

教務になってから「飛び込み」で授業を行うことがあります。

担任の先生が年休をとった場合や、出張や研修の時に教室を離れる場合の補充です。

 

担任をしなくなってから2年近くなりますが、教室に入ると一気に担任モードが復活します。

自分でも不思議なくらいです。

 

「この学年だったら、この説明したほうがいいな」

「この教科だったら、この話をしたほうがいいな」

 

わりとすぐに感覚を取り戻します。

そして、このようなことを意識して話をします

 

・話をする時は、声のトーンやジェスチャー間を持たせる

・個の話を聞きながら、全体を見る

・話し言葉だけでは忘れやすいものを、板書する

・活動の前に確認をして、質問をさせる

 

基本的なスキルだとは思いますし、今まで無意識に行っていたことでもあるのですが

飛び込みで入るからこそ、意識して行うようにしています。

 

また、学年によっても違いがありますが、単純な学習でも子どもたちへの働きかけ一つで

取り組み方が大きく変わるものもあります。

 

先生は「おに」だから、丁寧に書かないとやり直しさせるよ〜

 

これを、ニヤニヤしながらいいます。

そして、早めに課題が終わった子に対して

「あらーこれはやり直しだねー」と全員にわかるようにいいます。

すると子どもたちの取り組み方が大きく変わります。

そして、時間をかけて取り組む子たちに対して「合格!すごいね」と声をかけると

何人かの子はガッツポーズをして喜びます。

この時、名札をしていたら「◯◯さん、合格!」というとなおよいです。

 

 

これは学級びらきをした後、授業がはじまってすぐの頃によくやっている手法なのですが

かなり効果的です。「先生は字を厳しく見る人だ」と子どもたちに意識させるだけで、手を抜かなくなります。もちろん、これでも雑に取り組んだり、丁寧に書くのが苦手な子もいるので、その辺りは余裕を持たせます。

 

もうすでに3つのクラスで行ったのですが、どのクラスでも子どもたちは真剣になりました。

やはり、教師のスキル次第で子どもたちへの取り組み方は変わるということを改めて実感しました。

 

今後は特別支援学級の補充に入ることもあるでしょう。おそらく上にあげたようなスキルは

役に立たないと思います。また6年生や1年生など、関わり方が変わる学年もあります。

いずれにしても、どんな学級、どんな学年にも「飛び込む」ことができる、それが教務に必要な力だと思います。