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センス

今日地元で草野球の試合がありました。

個人的な結果が全然だったので、あるメンバーから

 

「球技のセンスがまるでない」

 

と言われました。

久しぶり、「おー!」と思う言葉でした。

怒るとかではなく、今までの自分のモヤモヤを払しょくする言葉だったからです。

 

今までバスケットボールと野球を主に、いろいろな球技をしてきました。

しかし、どれをとっても大した活躍はできず、

でも、やってるからには、人並みにはできるほうだと思っていました。

だからこそ、練習を頑張れば伸びる!と思っていたことろもあったと思います。

 

しかし、一向に伸びる気配はありません。

現役でやっているときもそこそこの成績しか残せませんでした。

努力が足りなかったと、言ってしまえばそれまでなのですが、

その時なりに努力はしてきたと思うので、過去を否定するのはやめておきます。

 

だとしたら、あと納得できる答えが「センスがない」です。

 

今まで自分が受け入れてこなかったことだと思います。

 

そもそも、自分は芸術的センスがまるでなく、もはやあきらめているレベルなのですが、そこに対して何の抵抗もありませんでした。

 

子どもの方が絵が上手だと思うことはたくさんあっても、自分がそれ以上になりたいとか思うこともありませんでした。

 

だから、「球技のセンスがない」というのもある意味、同じように自分を受け入れるということでとてもよいことなのではないかと思います。

 

話はそれるかもしれませんが、

クラスにはいろいろな子がいます。

ものすごいセンスの持ち主がいれば、

なかなか苦手な面を持つ子もいます。

 

もちろん、単なる努力不足だとか、

今までの教育や習い事への時間のかけ方とかいろいろ要因はあるでしょうが、

そういったものを除いても、センスみたいなものは感じます。

 

もしかしたら、子どもたちにさせている勉強もセンスが問われている面があるかもしれません。親の期待がとてもすごくて勉強をさせているけど、子どもがなかなか答えて結果を出していない。それが親子関係を悪くしている・・・。なんかそんな姿をたくさん今まで見てきました。

 

それよりも、その子なりのよさをしっかり見つけて、伸ばしていくというスタンスの方が温かくてよいなと感じることがあります。

 

もしかしたら、センスなんてものは、見えないかもしれないし、これから見えてくるものかもしれません。

 

私はそのセンスを見出そうなんて思ってもいません。

でも「センスなのかなー」って思うことに対しては「おおーすごいねえ」と思ったり、言ったりするようにしています。もしかしたらそこから自分のよさに気づいてくれるかもしれないからです。

そして、ゆくゆくは子ども同士でそれを見つけ合ってほしい、そんな風に思います。

 

さて、球技センスがないことが分かった今、私は何を強みに生きていけばいいのでしょうか。もちろん野球は好きなので、これからも続けていこうと思いますが、これを私の強みにはできないと思います。

 

なら何か。

 

これは私のこれからの大きな課題の一つですね。

見つけようと、思わないと見つけられないものだと思いますので、

常に意識しておきたいと思います。

 

 

あ、小さな強みを一つ。

ブログが4か月続きました。