自分の失敗談①
この本に「自分の失敗談を話そう」とありました。
せっかくなので、私の失敗談を一つ。
私は、大学の卒業式1か月前に留年が決まりました。
教授陣から「あなたの卒論は不可」と言われた時、何がなんだかわかりませんでした。
「え?提出したのに?」
私は大学4年間、それなりに真面目に過ごしました。
1年生から講義にはきちんと出席し、3年生からはじまるゼミにもきちんと出ました。4年目になって、卒業論文の研究も行いました。提出前は泊まり込みになるくらい頑張り、無事に締め切りに間に合うように、提出しました。もはや、卒業は決まったようなものだと思っていました。そして言い渡された「留年」納得できるはずありません。
最後の希望とばかりに、教授に頼み込みに行ったり、同級生の仲間と相談したりしましたが、結局変わらず、一人だけ卒業延期の身として、卒業式に参加し、悔し涙を流しました。「なぜ、自分だけ卒業できないんだ」
それから半年間、孤独に論文に向かい合う日々が続きました。
正解のない答えを探す毎日。
教員採用試験の勉強は私にとって最高の息抜きでした。何せ答えがあるんですから。
結局、半年後に再提出を行い、大した評価は得ぬまま卒業することになりました。
もはやどんな評価でも卒業させてくれるだけでいい、そう思いました。
その当時はストレスで頬は痩せこけ、体重も落ち、相当な状態だったと思いますが、
徹底して、論文に向かい合って分かったことが一つあります。
自分の論文は、論文になっていなかった。
ただの感想文か、妄想文。
それに気づかせてくれるのが、教授の役目なんじゃないかと思いましたし、
他の学科は、そのレベルの論文?でも卒業しているのに、
なぜ、自分だけ。と思いましたが、私の知識不足でした。
国語科がこのように、「論文」で評価すること。
毎年その「論文」にならなかった者、「論文」を書けなかったものは、容赦なく「不可」を出す。まあ、正当な判断をするところだったんですね。後から知ったんですが、
私のように留年して卒業する人、
留年して、結局退学する人
即退学する人、
そんな人がごろごろいる学科だったわけです。
そんな学科を選んできたのは、私自身。
しかも「自分はできる」とばかりに思っていたところがあったんでしょうね。
もしかしたら社会に出る前に、その変な自信を打ち砕いてやろうと思ったところもあったのかもしれません。
つまり、私のリサーチ不足と、自分の力の過信がこの「不可」を招いたと思います。
そして、「しっかり授業に参加した」「時間をかけて努力した」なんて、
結果を出す=「論文を書く」ができていなかったら、何の評価もされないということを知りました。
まあ、結局この後、就職もできず、無職になり、なんとか仕事を見つけて、半年後に教師になるという人生を送ったわけです。
当時は、どん底の人生だと思っていましたが、今となっては笑い話。本当によかったのは、当時、寮に住んでいて、孤独ではなかったこと。
誤った方向に行かず、何とか半年間過ごせたのは周りとのつながりがあったからこそ。
人間、人のつながりがやっぱり必要なんだとも改めて思った半年間でした。
まとまりはないですが、私の失敗談の一つです。