分かるということ
「分かるということ」について、そのうち文章にまとめたいと思っています。
今年度一番の発見だからです。いくつかパーツを書いて、まとめていきたいです。
以下、一年生に『学び合い』を教えてきて感じたことをいくつか。
その1
『学び合い』の課題でわかりやすいのが「~できる」「~解ける」だと考えられる。
たとえば、「①~⑥の問題が「できる」(「とける」)」
としたら、一年生でもゴールを理解できる。
ただし、一年生の初期の段階では、ゴールしたかどうかは、
教師が評価した方が効率がいい。
準備をした答えを見て「できる」「解ける」が達成できるかといえば
2割くらいはできると思うけど、残り8割はすぐにはできない。
「できた」という状態がそもそも認知できていないので、
〇つけをさせても、いい加減になり、間違いを〇することも十分ありえる。
そしてその間違いを2割の子たちが、訂正できるようになるのにも、
かなりの時間を要する。
そこを待てるのであれば、教師が評価する必要はないけれど、
間違ったままの解答をそのままにすることは、保護者の理解を得られないので、
教師が介入したほうがいい。
実はこれって、1年生に限ったことでは全然ないんですけど、
1年生を担任して『学び合い』をはじめて改めて気づいたこと。
貴重な経験だったと思います。
おそらく、何年生であっても、「分かる」「できる」集団になるには、
一定の時間を要するので、そこを教師がどう振る舞うかは、意図的であった方が
いいと思います。