初任の時に、本で「跳び箱のとばせ方」を学びました。
実際に跳び箱がとべなかった子どもの何人もが跳べるようになり、
その子の親から感謝の言葉をたくさんもらいました。
子どもをできるようにすることが、教師の仕事であり、やりがいだと感じていました。
次の年は、逆上がりをできるようにしました。
これもまた、たくさんの子ができるようになりました。
教師の指導技術ひとつで、子どもはできるようになる、そんなことを実感しました。
それから数年して、『』をしり、だんだんその考え方が変わっていきました。
そして、今では、跳び箱も鉄棒も子ども同士で取り組ませ、私はほとんど関与しません。
安全の確保と、教材の準備だけです。
いろいろ葛藤がありました。
子どもたちの関わりにこだわるか、
「個別指導」するのか。
「みんなでできるようになったねえ」の
ような感じでした。これならまだいいかなと。
まだまだこれからですね。