『学び合い』に至る
最近、何人かの学校の先生に1対1でじっくりお話を聞かせてもらう機会を持たせてもらっています。
私が聞いていることは、
教師に至るまで。
『学び合い』に至るまで
『学び合い』を実践していて。
です。
話を聞いていると、当たり前ですが「教師に至るまで」がバラバラです。
「どうして教師なのか」
「どんな教師になるのか」
様々な経験や、葛藤を経て、教師を目指し、教師になられたそうです。
そして、それぞれの方法で『学び合い』に出会います。ある方は本。ある方はネット。実践者との出会い。『学び合い』を実践している学校で見たという方もいました。
そして『学び合い』の考え方に納得し、確信を得ていくようです。
たまたまかもしれませんが、ここに共通点があります。それは「教師に至るまで」の際に、考えていたこと、葛藤していたこと、経験したことの何かしらが、『学び合い』の考え方につながります。まあ人が心を動かされる過程においいて、その人の人生とつながりがあることは、当たり前といえば当たり前なんですが、「生き方」や「考え方」レベルで「これはいい」という教育実践って珍しいのではないかと思います。
私自身の経験からすると、
子どもたちの姿や、『学び合い』の実践を繰り返す中で、自分の今までの人生を意味づけしていった経緯があります。
自分の人生が「掘り起こされた」ような感覚です。だから、教師に至るまで=『学び合い』では実はありません。だけど、人に語るときはおそらく、教師に至るまで=『学び合い』で語ってしまうだろうと思います。
おそらく、今回お話を聞いた方の中にも同じように過去を意味づけしているからこそ、
『学び合い』の考え方に近い、過去の経験や願いを話をしていた面もあるとは思いますが、いずれにしろ『学び合い』は人生レベルで行う教育実践なため、合わない人がいても当然だし、
強要してはいけないなと思いまして。
いやはや、それにしても話を聞くのは面白い。
「すごい人」と言われるような人の話を聞くのもいいけど、身の回りにいる人から「人生レベル」の話を聞いた方がもっといい。
少しだけ距離が近くになった気もするしね。