おに先生のブログ

小学校の先生のブログ 『学び合い』やってます

一人も見捨てない に自信がなくなって

一人も見捨てない

 

『学び合い』の理念です。

先日ある方から「捨てる」「ない」というネガティブワードが2つ並んでいるという話を聞き、なるほどなと思いました。また、一人も見捨てないは「劇薬」だということも聞きました。 このような指摘になるほどと思うのは、「一人も見捨てない」という言葉に慣れすぎてしまっていたのかもしれません。

 

確かに、「一人も見捨てない」は子どもたちに「誰かを見捨てているぞ」ということを毎回伝えているわけです。

「誰かを見捨てると、一人、二人・・・次に見捨てられるのは自分かもしれない」という語りは、「一人も見捨てないは得」ということを伝えるためですが、ある意味脅迫なのかもしれません。

 

私自身は、そんなに子どもたちを追い詰めようとも思いませんし、「見捨てていること」を見つけて「見捨てるなー!」ともあまり言いません。(言ったこともあります...)「一人も見捨てない」をひとつの「生き方」として提案し、「こんな生き方のほうがいいんじゃない?」という感じで伝えることが多いです。例え話も、「お年寄りが困っている時に、声をかけ合う社会の方がいいよね。」「自分が病気の時に声をかけてもらえるほうがいいよね」みたいな言い方をします。

 

たいてい、道徳の教科書にのっていることや、学校で教える道徳的なことって「(ゆるい)一人も見捨てない」場合が多いと思っています。だから、あえて「一人も見捨てない」と明言しなくても、教師の目指す理念として子どもたちに伝わるのではないかとも思います。

 

ただ、そうだとしてもやはり「一人も見捨てない」と明言した方がいいのではないかと私は思うんです。

はっきりと「一人も見捨てないクラスにしたいんだよね」と語った方がいいのではと思います。

 

お叱り覚悟で書きます。

一度「一人も見捨てない」という生き方を知り、子どもたちの成長やいろんな子が救われる出来事を経験した上で、思います。今の学校の文化の中で、様々な特性を持った子、集団に馴染めない子、勉強がわからない子...いろんな子が苦しんでいて、救われないままになっていることを。しかし「一人も見捨てない」という願いは、そのような子たちを救う可能性があります。また、担任としての務めが終わったあとに、同じ学年や同じ学校に進級進学する同級生たちが「一人も見捨てない」という生き方を忘れないでくれたら、苦しむ可能性が下がると思います。

 

「生き方」である以上、押し付けるものではないでしょう。

でもこの生き方は、多くの人を救うと思うし、何より自分を救うことになる。

そんなことを意識してこれからも語りたいと思います。

 

だれか、これについて話せないかなあ。