遅れないように。は分からない?
昨日、少し考えていたこと。
8時25分から朝の会が始まるので、
①時間に余裕を持って
②遅れないように
③5分前に
④8時20分に着くように
⑤早めに
来ましょう。
のように、子どもたちに話そうと思えば、①~⑤みたいな言い方ができると思います。(ほかにもあると思いますが)でも、これらって、子どもによっては分かりにくいものもあるんだろうなと思います。
ちょうど、1学期のはじめは、こういう言葉による伝達がうまくいかずに困ることがありました。今まで①~⑤なんて、気にしてこなかった自分にとってはパニックです。
いろいろ考えて、「4までに来ましょう」と話していました。
また、時計の絵を描いて、学校に来たらすることを黒板に書きました。
すると、本当に8時20分に到着する子が何人かいて、朝の会までに準備が終わらないってことが何回もありました。教師側としては「朝の会に間に合う」ということを「子ども側が時間を調整する」ことをお願いしているわけですが、そもそも「間に合う」意義が分からない、「時間を調整する」ことができない。子どもによっては、準備の時間も教師側が把握して、「3に来ます」「学校来たら 片付けの仕方をみます」と言わなければいけませんでした。
こんなことを、1年生当初はしていたわけですが、
最近ではあまり気にする必要性がなくなりました。
こんなことをしなくても「遅れないように来ましょう」で伝わるからです。
しかし、最近「遅れないで来ましょう」が通じない事態が発生しました。
ああそういえば、そうだった。「遅れないで来ましょう」は伝わらないんだったと思い出し、反省しました。人間って不思議なもので、忘れていくんですね。まだ一年もたっていないのに。
「遅れないで来ましょう」が分かるようになるって、それは学校生活を繰り返し行っているから分かってきたことであり、子どもたちの成長だったんだなと改めて感じました。
この他にも学校生活におけるいろいろなことが、大人や上の学年にとっては当たり前でも、1年生の子どもたちにとって「分からないもの」だったと思います。
そしてこういう学校の中で生活していく力が、「社会性を身に着ける」「生活力をつける」であり、学校だからこそ、集団だからこそ学んでいくんだと、今更ながら気づきました。
上の学年では気づきえなかったことです。
上の学年でも子どもたちの中には「分からない」があり、今まさに身に着けている最中のこともあるかもしれません。1つまた勉強になりました。