指示を与える、与えられる
教師が子どもに指示を与えて、子どもがそれに従うのは、お互いにとってある意味楽です。
教師は、自分の思うように子どもを動かすことができるし、
子どもは教師の言う通りに動いておけばいい。
しかし、これを続けていると両者にデメリットが多いと思います。
指示ばかりしている教師は、もしそれに従わない子どもがいた時に、成すすべがないでしょう。
以前は、体罰をしたり、暴言を行ったりして「強制的に」従わせていたこともあったようですが、
(私の中学生の頃はそうでした)
今はそんなことはできません(本当は昔からそうなんですけど)
だから、◯子どもが言うことを聞かない→怒鳴って聞かせる→それでも聞かない→どうしようもない。
● 子どもが言うことを聞かない→力でしたがわせようとする→体罰だと訴える→どうしようもない。
なんてことが考えられるわけです。いや、本当にこれって気をつけなきゃいけないよなー
って若い先生見ていて思うわけです。力で制圧することになれると、他の方法を覚えなくなると思います。
一方で、子どもたちにとっては、指示ばかり聞いていると、頭を使わなくなります。自分から行動することをやめます。
教師がいないところで不適切な行動をとったり、教師が教室にくるまで、勉強をはじめようとしない。
教室環境が悪くても気にしないし、誰かが困っていてもおかまいなし。
出てくる言葉は「先生、◯◯をしました」の報告ばかり。
「先生、何すればいいんですか」といえばいい方で、言われるのを待つばかり。
私は、いつもこのような行動を「お腹すいた」論と呼んでいます。
お腹がすいて、親に「おなかすいた」と言ったら、ご飯が出てくる。
そりゃあ今はそれでもいいかもしれないけど、これからそれでいいの?って。
ご飯は自分で材料考えて、作り方考えて、自分で作って、片付ける必要がるんだよ。
材料準備するには、お金を得なければいけないんだよ、それを考えないのが「お腹すいた」だ。
みたいにです。
そして、私は指示ばかり与えてこられた子達に「自分で」と言い放ちます。
厳しく、冷たいとも思われます。
先生は話を聞かない、とまで言われることもあります。
それはそれでよくないのですが、基本的には私は子どもたちに思考停止しないようにしています。
案外、先生が色々しなければ、子供達は動き出すものです。
大人はその機会を奪ってはいけないと思っています。