わかったこと
今日は、市の研究発表会でした。
ある先生の2年間の研究報告を聞きました。
子どもの学びの過程を細分化し、過程ごとに徹底して分析していました。
私が今までみたことのある研究資料のどれよりも徹底していました。
報告を聞いたり、報告書を読んでいて一つ思ったことがありました。
「結局、子どもの学びは多様だ」ということ。
いや、今までも知っていたし、聞いたこともあることです。
でもここまで徹底して分析してわかったわけではありません。
なんとなくそうなんだろうな、と思う程度でした。
しかし、今回のような2年間かけて研究した結果、「子どもの学びは多様だ」と至ったのには、
敬意というか、説得力がありました。
そして、一人の教師「なんか」が、子どもの多様さすべて対応した発問とか手立てなんてあるはずない。
あったとしてもそれが「多数」にとってだけで、「全部」ではない。2年間の徹底した研究でさえ、「見つけようと努力して、多数の子にはできたけど、全部ではなかった」んですから。(でもできるだけ多くの子に、自ら学ぶきっかけを与え、学び続けようとしたことは成果だと思います)
そう考えると、『学び合い』ってめちゃくちゃ偉大な研究結果なんだろうな、と思います。
子どもたちのひとり一人の学び方を全部データにとって、分析して、まとめて理論化してんだから。
かけた時間で言えば、今回の研究発表よりももっと時間をかけてできた理論が『学び合い』なんだろうと思います。
もちろん、『学び合い』だって、子どもたちの多様さにすべて対応できるわけではない。
でも、ひとりの教師があれこれ工夫するよりも、まだ子どもたちの力を借りた方が「全部」に近づけるのではないかと、いうことであり、そういう意味で「マシ」なんだと思います。
だから、子どもの多様さに対応するには、母数が多い方がいい。異学年の方がいい。
というのは、必然なんだろうな、と思います。
こんなこと書くと怒られるかもしれませんが、今回の素晴らしい研究よりも私の『学び合い』の方が、一部の子どもにとっては「合う」こともあり得るわけです。だから『学び合い』は偉大なんですよ。徹底した研究に負けない、いやそれ以上の学びができちゃうわけですから。
結局、最善の学びって、学び手にしかわからないので、学び手が自分の学びを決めることもとても大事だと思います。『学び合い』はそれすらも可能にしているわけですから(時間はかかるけど)やっぱりすごい。
いやー、「軽ーく『学び合い』やってますよ」なんて言えないよ。