「子どもたちは有能である」→子どもを信じなければならない
がプレッシャーになり、
何事も子どもたちに任せないといけないのではないか
子どもたちが遊んだり、課題をいいかげんにしたり、課題を達成できなかったり・・・
そんな姿にモヤモヤしても、子どもたちを信じ続けなければいけないのではないか・・・
なんてことをよく思っていました。
『学び合い』関連の本を読むとこのように捉える方もいるのではないかと思います。
今では、理想にはしているけど、その通過点として私が介入することもあります。任せっぱなしにしません。
結果を出すために色々小細工します。でもそれを「子どもを信じていない」とは思いません。
「子どもは有能である」とは、「能力を有する」ということでもあるので、、子どもは信じて任せればなんでもかんでもできるわけではない、と私は考えています。特にそれは1年生を担任していた時に感じましたし、6年生を担任した時も感じます。ただ、できる限りは任せて見ようとはしていますし、「これはちょっと無理かな」と思うことを任せてみると、思った以上のことをすることもあります。そういう意味では「子どもは有能である」ことが、教師の想定の範囲を超えるきっかけになることはあるでしょう。
できる限り任せてみるスタンスは取るけれど、必要があれば介入するし、教えるし、テクニックを使う。
でもここらへんのバランスは、私が今まで『学び合い』を経験してきているからできることでもあるだろうし、
失敗してもリカバリーができるからかもしれません。『学び合い』でどんな集団になっていくか、ある程度見通しがついて、今どの段階にいるかわかるからできるのかもしれません。
いずれにしろ「こうだ」というものはないので、自分で見つけていくしかないんでしょうね。