おに先生のブログ

小学校の先生のブログ 『学び合い』やってます

子どもの日

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子どもの日。

息子と一緒に市民プールに出かけ、一緒に泳ぎました。

浅いプールでは、一人で遊んでいましたが、深いプールではさすがに足がつかないので、私が抱えたり、私につかまったりしていました。息子が私の手を握って私が後ろ向きに進むと、息子は泳いでいるように、足を伸ばして楽しんでいました。また、私の背中につかまって、私が平泳ぎをしたりしました。

1時間近くいましたが、とても満足したようでした。

 

この連休は、息子とずっと過ごしました。妻が仕事の日は二人きりの日も何日かありました。

息子は、妻がいる時といない時は態度が変わります。私と二人きりの時は、わりとしっかりしていて、話も通じますし、しっかり歩きます。(妻がいると甘えてしません)特に驚いたのが、私の育ちの故郷に帰った時。いち相棒のような存在になっていて、一緒に電車旅を楽しむことができました。

 

うまれてわずかだと思っていましたが、1年、1ヶ月ごとにどんどん成長していくことに驚いています。

そして最近、本当に愛おしく思うようになりました。これは不思議な感覚です。今までは何だったんだという話になりますが、その時はその時で可愛がっていたのに、です。今のような感覚ではありません。どこかお世話する相手、親としての義務を果たしている相手、そんなところが少しあったと思います。しかし、今はとても可愛くて、「我が子」と思えます。この先はまだ未知なので、さらに上があるのか、また変わるのかわかりませんが、「この子の親になったな」という気持ちなります。

 

それと同時に、他にも色々なことを思うようになりました。

まずは、仕事のこと。もう小学校の教師になって10年目になりますが、人様の子どもをずっと相手にしています。他人の子です。我が子ではありません。だからといって粗末にするとか、比べるというわけではなく、違うという感覚がはっきりしてきました。それぞれの子たちがだれかの親の「我が子」であり、生まれてきてから多くのストーリーがあることを想像できるようになりました。「きっと色々あったんだよね。そして今でも」そんな気持ちになって、大抵のことは許せるようになりました。また、懇談会やその他の場面で保護者と話す時も、同情できたり、そんなこともあるよね、と思えるようになりました。

 

時々、子どもが傷ついたり失われたりする報道やドラマを目にしますが、見てられないという気持ちになりました。以前まではどこか他人事のように感じていましたが、どうも最近は自分の子と重ねてしまい、身震いがしてしまいます。また、みんな子どもを守ろうとしているんだな、とも思えました。

 

最後に、子どもを人様に見せたくなる気持ち、欲求についてです。子どもができてからSNSに子どもの画像や出来事をアップする人が多い事、その気持ちがわかるようになりました。子どもが可愛いからこそ、人に見せたくなる、見せて反応をもらおうという気持ちなのかもしれません。私もなんとなくそういう傾向があると思います。が、基本的に子どもの写真をアップしたりすることはありません。あくまで私は、子どもとの思い出を発信しているだけで、子どもを他人に見せようと思っていませんし、承認欲求を満たす道具でも、自分の肩書きにもしていません。

 

お迎えに行くのが大変だ(お迎えに行っている自分えらい)

家事と両立するのが大変だ(家事と両立しようとする自分えらい)

子育てにはお金がかかるから大変だ(子どものために働いているのよ)

(    )→承認欲求?

 

たしかにそうなんですが、「それ誰が選んだの?」って自分も含めて問い直さないといけないなと思います。

子どもが生まれてきたこと、成長すること、一緒に思い出をつくること・・・それが自分にとって大事であって、その分子育てによって「失われる」「大変」なことはあってしかるべきことではないかと思います。

とはいえ、誰にも認められずに、ただひたすら子育てをしていくのもしんどいことだらけだから、そういう発信をしたくなる気持ちはわかります。私もよく愚痴っています。「家事も子育ても仕事も・・・俺頑張りすぎじゃね?」みたいな。

 

子育てによって、自分の人生が豊かになっているのは間違いないです。

「いてくれてありがとう」という言葉が少しわかるようになった気がします。

でも、まだまだ子育て初心者。これからも頑張ります。