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子どもが主役

子どもが主役

 

そんな言葉を何度か聞いてきました。

例えば、運動会。

音楽発表会。

卒業式…などなど

 

子どもが主役=教師は目立つな

 

という意味で使われることが多かったように思えます。例えば卒業式。

子どもが主役だから、教師は目立った格好をしてはいけない。などのように。

 

まあ、それはそうかもしれませんが

卒業式に向けて、子どもたちに教師の言わせたい事言わせて、姿勢を正させて、繰り返し練習をさせて…どこが主役なんだろう、とずっと思っていました。ひどい場合は怒鳴りつけたり…。

 

卒業式当日、子どもが主役なのは当然。運動会だって、音楽発表会だって。

でも当日だけじゃなくて、それまでの練習や準備も主役であるべきなんじゃないかな、と思います。

「子供が主役」というのなら。

 

 

私はここ数年、このような行事に向けて、「子どもと一緒につくる」と考えるようにしています。

お互いに目的を共有し、役割分担する。そうすれば、本番前まで教師が教えて、本番は子どもが実行するっていうのも、自分なりに納得がいきます。

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私が長年続けている、器楽や吹奏楽では、指揮者と演奏者がいますが、どちらかが主役というものではありません。どちらも主役になり得ると思います。それぞれに役割がある、ともいえます。指揮者は、舞台の前でマイクトークを受けたり、拍手を受けたりして目立つことはあるけど、演奏中は指揮に以外で目立つことはないです。どちらかというと演奏者を引き立てたりすることが多いと思います。演奏者は、指揮者のように前にはでないけど、演奏の中心にいます。ソロだってあります。

 

そう考えると、子どもたちにダンスや音楽、表現の構成を教えたり考えたりする立場としての教師、実際に演技をする子どもは、発表するときこそ子どもが主役になりますが、そこまでは、「一緒につくる」関係になれるのではないかと思います。実際に私の最近のスタンスは、そういう感じなので、子どもたちを怒ったり、無理させたりしません。できる範囲で最大限のパフォーマンスを目指しています。

 

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ちなみに私は運動会と音楽発表会に限っては、子どもたちが発表するだけでなく、自分の立場でできる演出をします。ダンスだったら、子どもたち以上に気合を入れて踊りますし、指揮者だったらソロをしたり、演出をしたりします。上の写真にあるように、私が演出をするのは、自分が楽しむと同時に、演奏者や会場を楽しい雰囲気にするためです。

 

そういうことに、抵抗もある方がいるかもしれませんが、演奏したり表現している子どもたちと「先生、ちょっとノリノリすぎー」「失敗したでしょー」なんて会話ができるのも、一緒にやっているからだと思います。

 

この投稿をするきっかけを下さったfru-tさんの思惑とはだいぶ離れてしまったと思いますが、私は「俺も主役だーーー!」って気持ちで時々子どもたちに接します。いつもじゃないですよ、時々です。