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『学び合い』は「教師が学び続ける営み」とも言えるのでは

今日の西川先生の投稿には、とても刺激を受けました。

以下引用します。

↓↓

 

https://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/?word=%2A%5B大事なこと%5D

 

2000年以降、毎年、1冊の本を東洋館出版社で出版していました。その頃には『学び合い』の黎明期でノウハウも整理されていませんでした。さらに、中途半端な知識で実践されるのは嫌だったので、ノウハウは意図的に公開していませんでした。本で出したのは『学び合い』における教師と子どもの姿を丹念に整理した学術研究のダイジェスト版でした。

 ノウハウを公開したのは2007年3月のネット本です。最初は受け狙いで「奥義書」というタイトルにしましたが、「手引き書」という名前をつけました。そのときに『学び合い』の基本的な考え方として、子ども観、授業観、学校観を出しました。

 しかし、2011年に3つの観を整理して(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20110403/1301787725)、2012年に『学び合い』を新たに再定義を行いました(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20120202)。その中で授業観の重要性は私の中で低下しています。私は2014年以降は授業観に関して発信していません。そして、今は「教師の仕事は、目標の設定、評価、環境の整備で、教授(子どもから見れば学習)は子どもに任せるべきだ」という授業観は私の中から消え去りました。

 ビックリされることと思います。多くの人にとって、『学び合い』といえば、この授業観で表現された授業だと考えているでしょう。たしかに、同じ基礎的・基本的学力を保証するという工業化社会のコードに基づく現状の学校教育では、そうでしょう。しかし、私の頭の中は脱工業化社会になっているのです。

 個別最適化する社会において、一人一人の目標は異なります。当然、評価も異なります。そして、環境すらも異なります。目標を設定し、評価し、環境を整備するのは教師ではなく、学習者当人なのです。では、教師は何をすべきでしょうか?子ども一人一人が、目標を設定し、評価し、環境を整備できるように、今後の社会のヴィジョンを持たせることです。それを全員に保証するには、集団を形成することです。そのためにも、ヴィジョンが必要なのです。

 

引用おわり

 

 

「『学び合い』はこういうものです」

「『学び合い』の授業はこうです」

というものではなくて、

 

『学び合い』は教師の営みそのものであり、子どもたちの成長過程すべてであるから

「これ」「こう」というものではなく、ゴールもない。

 

ざっくり「全員達成を目指して課題を解決すること」は『学び合い』だけど、それだけじゃあ、続かない。

どう語るか、どう課題をつくるか、どう子どもたちに態度で示すか・・・その問いの繰り返し。

でもそれは『学び合い』の本体。

そして変わっていく子どもたちの姿も『学び合い』の本体

語ること、課題、態度それらは、実践者同士でにてくることはあっても、同じではない。

それぞれの人間性があり、「ステージ」なるものがあるから。

経験があるからいいからとか、年齢が高い低いではなく、いかに考え続けてきたか、だと思う。

 

幸い、わたしには目指す人がいる。モデルがある。

そしてそれに近づいていることも実感している。

だから自分はこれからも『学び合い』を続けていくんだ、と思う。