孤独感
孤独感
最近、疎くなってきている感覚だと思います。
先日本を読んでいて、音楽を聞いていてふと思いました。
「家族がいるって、孤独感が薄くなる、安心さがあるんだ」と。
もちろん、家族がいても孤独感を感じる人もいるでしょう。
私はたまたま孤独感を感じにくい家族を持つことができた、それだけだと思います。
ただ、高校卒業して浪人時代に感じていた孤独感はなんだったんだろうな、と思います。あの時は家族と一緒に過ごしていました。家族から虐げられていたわけでもなく、
毎日顔を合わせて、それなりに会話して、日々過ごしていました。
でも孤独を感じていました。事実、日中予備校で勉強している時、ずっと一人でした。
毎日があまりにも空疎で、心がぽっかり空いたような感じがして、
ひたすら予備校近くの公園で、鳩を見ながらボーッとしていました。
勉強に集中できない時は、好きな音楽を繰り返し聴いては、周辺を散歩するという時間が結構ありました。自分にとって唯一の希望は、将来を想像すること。それをさせてくれたのが、予備校の先生であり、小説でした。「この生活が終わったら、きっと楽しい毎日がやってくる」と自分にいつも声をかけていました。この頃、日記を書き始めました。(その経験がこのブログにつながっていると思います。)
家族がいても孤独を感じていたのは、家族に自分の気持ちを伝えていなかったから
肩書きのない自分の立場が申し訳なく感じていたからだと思います。
一度だけ「文転」をしたいと伝えた時、ものすごく反発を受けました。
「今までは何だったんだ」と。
そうです「何だったんだ」だったんです。自分の大学進学の動機なんて。
あまりにも情報と経験が少なかった。「考える材料」が少なすぎた。
でも一つだけわかったのが「自分は理系の勉強を続けられない」ということ。
それを伝えても家族の反発を受けることは、容易に想像できました。そして案の定、でした。
返ってきた言葉は
「勝手にしろ」
それ以来、自分のことはほぼしゃべらず、心を閉ざしていました。
親が「勝手にしろ」というのも無理はないと思います。
それもわかっていたので、いたすら孤独感を募らせていました。
少し長くなりましたが、今の私にはこのような感覚はありません。
家族と話している時間、共有している時間はもちろん、
自分のことも理解してもらっているからではないか、と思います。
人はなぜ結婚することを「幸せ」と呼ぶのか。
人はなぜ歌や小説の中で「幸せ」を求めるのか。
「幸せ」の形はわからないけれど、その反対の意味で「孤独感」があるのではないかと思います。もちろん、結婚しても、人とつるんでも、仕事をしていても「孤独感」を感じることはあるでしょう。
私の場合は、家族がいること、学校の教員として子どもたちの前に立っていること、
自分を必要としてくれる人と仕事があること、自分の好きなことができていること・・・そういうことが孤独感を感じないのではないかと思いますし、それが「幸せ」なのかもしれません。