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【長文】敬意を込めて

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待望の一冊が届きました。

 福島県(現宮城県)の高橋先生の著作です。

流動型『学び合い』の授業づくり: 時間割まで子どもが決める! (教育単行本)
 

 

高橋先生は、ブログで『学び合い』を中心とした情報を発信している方でもあります。

nao-taka.hatenablog.com

 

私が『学び合い』を実践し始めた頃、今ほど全国に広まっていなかったので、周りに実践をする人などおらず、頼りになるのは、数冊の本と全国の『学び合い』実践者たちの発信でした。その中でも高橋先生は、その当時から「この人はすごい」と思っていたので、ずっとブログを読み続けています。

 

何が「すごい」のかというと、自分が曖昧にしていたことを尽く、「言葉にしている」ということです。

「ああ、そういうことか」

「そこまで考えが及んでいなかった」

とブログを読むたびに感じていました。高橋先生は「平凡」とか「力がない」とよくおっしゃっていますが、私からするとそんなこと全然なくて、ずっと前を走り続ける「トップランナー」でした。

 

そんな高橋先生が本を出版されたということで、即注文しました。

で、読みました。感想は

 

やっぱりすごい

 

西川先生が出している『学び合い』の本と違うのは『学び合い』のテクニック以外(以上)のことが書かれている点です。これは、答えのない、言葉にしにくい部分だと思います。西川先生も次のようにブログで述べています。

www.jun24kawa.com

 

テクニック以外(以上)の部分、「口伝」の部分を文で伝えることは容易ではないでしょう。誤解が生まれる可能性もあります。でも、高橋先生はそれを承知で本にしたんだと思います。だから「すごい」のです。そして、『学び合い』の考え方を徹底して維持し、子どもから学び、考え、悩んだこと、そして願いが込められています。いや、もうにじみ出ています。私にはそう感じます。

 

さて、この本を読んで、感想を書こう、と思いました。それは、私なりの敬意を表すためです。高橋先生ももしかしたら読まれるかもしれないので、ドキドキしますが、自分のためにも書きたいと思います。

 

 

 

まず、私が考えるこの本の特徴は

①高橋先生の「人がら」がにじみ出ている

②過程と挑戦と展望が書かれていて完結していない

③『学び合い』上級者むけ

 ということです。

一つずつ解説していきます。

 

①高橋先生の人がらがにじみ出ている

 

私は長い間、高橋先生のブログを読んでいるので、感覚的にわかるのですが、この本で書いている高橋先生はブログで書いている雰囲気とまるで同じです。高橋先生は、ご自身のことを「平凡」「力不足」と表現されますが、私は全然そう思いませんし、本を読んでそうではないと確信しましたが、でもやはりそのようにご自身のことを考える方なんだろうな、と思います。

 

また、ものすごく熱い(暑い)部分も垣間見えます。例えば本書の「一人も見捨てない」のくだり。ここまで強く願える人も『学び合い』実践者の中に多くはないでしょう。「一人も見捨てない」は強く願うことは覚悟がいりますから。そしてこの本の中で、何よりも注目したいことが、

 

子どもから学び続けている

 

ということです。文中の至るところで、先生が関わった子どもたちのエピソードが登場します。『学び合い』の子ども観は「子どもは有能である」です。これを突き詰めていけば「子どもから学ぶ」ことは必然だと思います。高橋先生が徹底して子どもから学び続けているからこそ、流動型『学び合い』に至ったんだろうと思います。

 

 

②過程と挑戦と展望が書かれていて完結していない

この本のタイトルは「流動型『学び合い』の授業づくり」とありますが、私は「流動型『学び合い』の授業づくり【に至るまで、そしてこれから】」が正確なタイトルだと思います。

本の中で流動型『学び合い』は5番目に設定されいます。

  1. 1単位1課題の『学び合い』
  2. 複数時間の『学び合い』
  3. 単元『学び合い』
  4. 教科横断型の『学び合い』
  5. 流動型『学び合い』
  6. その先

本の中では、この「流動型」に至るまでご自身のエピソードを交えて説明しています。高橋先生の人がらなのかもしれませんが、「失敗や反省」も多く書かれています。私はここにとても好感を感じています。教育書の中には、本のタイトルに書かれた実践を中心に説明していて、そこに至るまでの過程は触れず、完結・完成された実践が紹介されているものが多いと思います。私はそういう実践を見るたびに「自分にはできないや」「この人だからできるんだ」と思ってしまいますが、高橋先生はそうでありません。正直に「失敗」を書いています。しかも自分も経験したことあるような、隠したくなるような「失敗」です。そのような「失敗」を繰り返して、「流動型」に至って、今こんな感じ、というスタンスだから「自分もそのうちやってみたい」と思えます。

 

面白いのが、流動型『学び合い』を説明するのに、教室の1日の様子を5ページにわたって細かく書いている部分があることです。ここからも、高橋先生が子どもたちをどのように見ているかがわかります。1日の様子を全部書いているので、もしかしたらこの5ページにわたる部分こそ高橋先生の実践がギュッと詰まっているのではないか、と思ってしまいました。1日高橋学級にお邪魔してずっと様子を見ているようなものですから。

 

流動型『学び合い』の説明の後、高橋先生が今挑戦していること、そしてこれからの未来のことを書いています。だから、この本は完結していません。ただ、「完結がない」というのは当たり前といえば当たり前のことです。人生には、過去、現在、未来があって、完結なんてない。そりゃそうです。つまり、この本は「これこそ流動型『学び合い』なんだ!」という本ではなく高橋先生の「流動型『学び合い』の授業づくりに【至るまで、そしてこれから】」という本だと思います。そして完結していないからこそ『学び合い』実践者らしくていいです。私自身もそうですが、「今の『学び合い』完成形だ」と思うことはなく常に考え続け、悩み続けるからです。高橋先生も数年後、いや一年後にも、この本とは違ったことを考えているのではないかと思います。

 

③『学び合い』上級者向け

私はこの本を『学び合い』上級者向けだと考えます。まず、この本には『学び合い』のテクニックは一部しか書かれていません。『学び合い』提唱者の西川先生の本はたくさんあるので、テクニック部分は、そちらに任せているのでしょう。西川先生の本を読んだことを前提で、ある程度『学び合い』を実践してから読める本ではないか、と思います。

 

私は、『学び合い』実践をして2〜3年して単元『学び合い』を取りくみはじめました。でもそれは「真似してみた」ことがきっかけで、「なぜ単元『学び合い』なのか」自分でもよくわからずに行ったため、子どもたちが迷走しました。後から、1時間1課題だと、学びが止まる子たちの存在に気づき、単元『学び合い』の必然性に気づきました。やはり自分が腑に落ちないとだめなんだと思います。

真似るのは難しい

高橋先生は、いくつか「単元進行表」を本中に紹介していますが、これを真似てもうまくいかないと思います。なぜならこれらの単元進行表は洗練されているからです。高橋先生が、子どもたちから学び続け、本でも紹介されているような1単位1課題の『学び合い』から手順を踏み、子どもたちに言葉かけ、価値づけをしてきているからこそ、出来た課題、「単元進行表」だと私は思います。

 

数年間『学び合い』を実践してきた身として、偉そうなことを言いますが、高橋先生の課題は「ざっくり」しています。細かい指示が少ない。例えば「単元進行表」の中に

分数×分数の約分ができる 

・途中で約分する方法を覚えましょう。

・3人以上に説明しましょう

 

という課題があります。

教科書の何番の問題を解くとか、計算の仕方をどうするかとか、説明をどうするか、とかそういう指示は一切ありません。「ゴール」が「できる」ですから、「できる」状態を子どもたちの一部が理解していないと成せない課題だと思います。

 

私はもっと細かく、もっとチェック項目の多い課題をつくっています。それは子どもたちが迷わないようにしないと不安だからです。言いかえれば、勇気がない、子どもたちを信じ切れていない、とも言えます。でも、年間を通じて、実践を重ねるにつれ、私の課題もだんだん「ざっくり」になってきました。それは「ざっくり」でも子どもたちが質の高い学びができるようになってきたと感じたからです。だから、「ざっくり」さこそ、「洗練されている」と私は考えています。

 

繰り返しになりますが、この課題を真似してもうまくいかないでしょう。おそらく多くの子どもたちは迷います。そして、うまくいかなかった原因を子どもたちに求めるかもしれません。「高橋先生だからできるんだ」「高橋先生のクラスの子だからできるんだ」と思うかもしれません。

でもそれを言い出したら、何も答えは出ません。だから、結局は自分自身で答えを見つけるしかありません。自分が子どもたちをどこまで信じれて、どのように子どもたちに語り、どこまで見とれるか・・・それによって課題は変わります。その繰り返しだと思います。高橋先生もずっとそうやってきたはずです。簡単に真似できるものではないと思います。

 

流動型『学び合い』は単元『学び合い』を洗練させたものだと私は捉えています。だから、単元『学び合い』の実践を積まずに流動型に行くことはできないか、難しいと思います。まずは、1単位1課題の『学び合い』を行えるようになってから、この本に書かれていることをチャレンジしても遅くないと思います。

1時間1課題でもいい

少し話はそれますが、長年『学び合い』を実践している私の先輩の一人は、(おそらく)一時間一課題の『学び合い』をずっと続けています。でも、教室に見学にいくと、子どもたちがとても生き生きと学んでいます。教室の雰囲気が「温かく」自然につながっている感じです。この雰囲気はなかなか作れない、と見学にいくたびに思います。どうしてこのような教室を作れるのか、今のところ自分の出した結論は教師の「人がら」です。子どもたちへの日々の語りかけ、関わり方、見取り・・・そういうものだと思います。「型」では、なく「在り方」のように思います。その先生は、長年教師を続けてきた中で多くの子どもたちに出会い、人の「器」を広げてきたんだと思います。私が何年か頑張ったところで追いつけないものだと思っています。でも、そうなれるように、一歩ずつ進んでいくことが『学び合い』の実践でもあると思います。

 

だから私は、「流動型」を目標にする必要もない、と思います。おそらく高橋先生もそう思いながらこの本を書いたのではないか、と思います。真似する必要もないし、真似できるものでもないと思います。学ぶところは学び、参考にするところは参考にする、でいいと思います。

 

ちなみに、自分は4の教科横断型に少し足を突っ込んでいるくらい。5の流動型は一回試してみたけど、あまり手応えはありませんでした。高橋先生のブログにも書いていましたが、この実践は5年〜10年先の実践だと思います。今までは『学び合い』を実践し続けた先にどんな教室、どんな子どもたちになるのか、本も何もなかったのでイメージを持つことが難しかったですが、高橋先生が「一例」を世に出してくれたおかげで、後から追いかけることができるようになったと思います。そういう意味でも貴重な「上級者向け」の本だと思います。

  

 

 

『学び合い』はすぐに実践できますし、セオリーもテクニックもすべて網羅されています。西川先生の本にそのようなことはほとんど書いています。でも、『学び合い』はそこからが本当のスタートです。自分で実践してみて、悩んで、試して、失敗して・・・。子どもたちと共に、自分の人間性や人生を問い直し、前に進んでいく実践だと思います。私自身数年間実践してきて、ある程度の『学び合い』はできるようになったと思います。しかし、高橋先生の本を読んで「ああ、そういう視点なかった」「自分は足りてなかった」「こんな課題にすればいいんだ」という発見がありました。なんだか『学び合い』の会のようです。そう、この本は高橋先生と実践者の対話の本だったのかもしれません。高橋先生の熱いメッセージをこめて。

 

さて、長々と書いてきましたが

この本を読んで決意しました。

「自分もいつか本を書く」

高橋先生にできないことが私にもあるはずです。

そういうことも思わせて頂いた高橋先生、

本当にありがとうございました。

これから先もブログ、楽しみにしています。