連載 心が弱っていた③
最後に、先輩気質が抜けません。
多分、後輩に対して、先輩へのリスペクトは持ってほしい、と心のどこかで思っていると思います。
それはあくまで「自分がそうしてきたから」ということが前提なので、人に押し付けるものではないとは思います。
しかし、「それ、先輩にさせますか?」「なんで先輩が気遣いしなきゃいけないの?」と思うことが今年度多くありました。
かくいう私も、若い頃は先輩たちから「生意気なやつ」「最近の若い者は」と思われていたと思います。幸いなことに、自分の生意気なところとか、(教育現場における)常識のなさは、先輩たちが注意をしてくれたおかげで、是正されていったと思います。中には「理不尽だ」と思うことはありましたが、今となっては有難いなと思います。そんな私でも「挨拶」と「相談」と「一番動く」はずっとやっていたと思います。それは、自分がそうしなければいけない、と思っていたわけではなくて、自分の身近な先輩がそうしていたからです。本当は先輩たちが、自分よりも重たい仕事や大変なことをしていたことには一切気付いていませんでした。でも、そういった「後輩としてできること」をしていることで、許されていた部分もあったと思います。
それから数年たって、私も「先輩」のポジションになりました。
まだ30代半ばなのに、下の方が多い年齢です。授業や学級経営、その他の仕事のさばきかたを見ても、優秀だなと思う後輩はたくさんいますが、
挨拶や「一番動く」ができない後輩の存在が気になってきました。また、表向きはうまく関わっているつもりでも「リスペクトはない」と感じることも増えました。というのも、昨年度までは、誰かしら私のことをリスペクトしてくれていました。そう言ってくれる方が周りにいると、心の安定になっていたと思います。反対に相手のことをリスペクトしようと思いました。しかし今年は自分から「リスペクトしよう」と努力しました。しかし、
見返りが全然感じられず、「なんで俺はこんなに気を使わなければいけないんだ」とイライラしてくることが増えました。また、自分が動くことが多く「ああ、言われたことはするけど、それ以上は見えてないんだ」と気づきました。まあ、これは自分も昔できていたとは言えないんで、求めずぎかもしれませんが、「先輩として舐められている?」と思ってしまいました。いや、そう思ってしまう自分が嫌にもなりました。
さて、長々と自分の気持ちを書いてきたわけですが、結局「自分の課題」だということがほとんどです。
自分が変えれば済むことがほとんどだと思います。でも、やっぱり「避ける」ことがすべてではないと思います。
「俺、こういうことが嫌なんだよね」と言えたか。言えていません。
もっと早い段階で、自分の気持ちを伝えることをしていれば、こんなことにはならなかったと思います。
どこか上滑りした一年を過ごしてしまったのは、自分の責任です。
妻にも言われました。
中堅、主任になりたてってこと。この失敗を生かして次につなげよう、と。
確かにそうだな、と思います。幸い、少しだけ職場を離れる機会を得ました。
今よりも居心地の悪い場所になるかもしれないし、良くなるかもしれません。
自分が居場所を作れるようにするための助走時間として、今週はすごそうと思います。
ああ、長くなった。自分の心って面倒だな。