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#37 『学び合い』で目指すもの

 

 5年前の本なのに、全く褪せることがない本。薄くてページは少ないのに、読むのに数日かかりました。新学習指導要領の解説本とも言えるのではないか。というか5年前からもう目指すことはわかっていたのに、5年たっても全く変わっていないことに、筆者は落胆するのではないか。

 

 

昨年度の最後の方に「評価だ」と確信して、最後の実践をまとめようとした時に、休校。教科にまたがる評価と、各教科の特性に合わせたルーブリック作ろうとか考えていたわけど、まさにこの本の最後に書かれていることだったので、少ししびれた。でも、一年前に読んでいたとしてピンとこなかったかもしれない。『学び合い』を実践続けていって「評価だ」と思わないと腑に落ちなかったと思う。

f-manabiai.hatenablog.com

 

そういえば、数年前に『学び合い』関係のベテラン方が評価の話をよくしていたけど、あの方々はおそらく今私がぼんやり思っていることをその当時には気づき、動いていたんだろうな、と思う。その時に話を聞いていたからその数年後に自分が確信を持ったかはわからないけど、ある程度『学び合い』の実践をつまないと気づかないことではないか、と思う。

 

で、この本を読んで気づいたのが、私は『学び合い』の授業をしながら、この本に書かれていることを実践しようとしていた、ってことに気づいた。だけど、『学び合い』から離れていったという感じでもない。この違和感はなんだろう・・・ちょっと前から感じていたことだったけど、今日ピンときた。

 

 

自分は先生としては『学び合い』

授業としては、『学び合い』を根底とした、

「今求められている学びの追究」だったのではないか、と思う。

 

先生としての『学び合い』

今一番しっくりくるのが、

子どもの多様性を認め、子どもの有能さを信じられる先生

これだ。もうすでにモデルがいる。文で表すのは簡単だけど、10年、20年かかる。一方で7年前の自分とは、ずいぶんこの文に近づいた。たぶんずっとこれを目指していたんだと思う。もっと短くいえば「器の大きい人間」

 

で、授業は『学び合い』のテクニックは最初の1ヶ月くらい。授業も全員達成を求めるのも、そんなに力を入れまくっているわけではない。「一人も見捨てない」も強い願いではなく、「学びのきっかけ」(良い言葉が思い浮かばない)として捉えている。

 

おそらく、「一人も見捨てない」教育を本気で目指している方も理解できるし、そうでない方も理解できるのは、そういうことなんだと思う。

 

そして、オンラインで『学び合い』にずっと違和感を持っていた理由がやっとわかった(これで何度目?)オンラインの『学び合い』には、子どもと教師の成長が(たぶん)ない。教室に一緒にいて、いろんな活動を通して、時間をかけて、「成長」が見える(こともある)自分が子どもから学んだと実感できる(こともある)そんな時に、『学び合い』実践していると感じていたのであった。でも、オンラインにそれは感じられない。関わってはいるし、学び合うことができるかもしれないけど、人間関係の「トラブル」がない。

 

いろんなことを乗り越えて、「おまえ成長したなあ」ってのがいい。

それにすごく感動できるし、ずっとつながりを持てる。それが僕にとっての『学び合い』だから、先生としては『学び合い』っていうのはそこ。

 

 

ああ、なんかすごくすっきりした。

でも「今求められる学び」についてはまだまだ序の口。実践あるのみ、だけど、まだ少し先の話。