おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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学校という組織の中で生き、学校という組織の中でもがく

教員11年目。

今の勤務校に転勤してきて6年目。

いろんな同僚を見てきた。いろんな管理職にあってきた。

6年間いて思うのが、毎年学校、職員室の空気が違う、ということ。

そしてその空気を作っているのは、職員室の一人ひとりであり、何より管理職だな、と思う。

決して、問題を管理職のせいにしたいとか、管理職に不満を言いたいとかではない。

「学校」という組織は、結局管理職が、何を求めるかできまるし、職員室の雰囲気もそれによってきまる。

 

私はその雰囲気をよりよくしよう、という気持ちを持って過ごしてきた。

このように考えるようになったのは、「体育主任」をするようになってから、だと思う。

運動会という行事を達成するために、奔走した。結局、学校という組織を動かす上で、自分の力不足を感じた。何も分かっていなくて先輩に頭を下げてばっかりだったし、後輩の力を借りることができなかった。

それでいて、今よりも学級や自分の実践に目を向けていた、というか「自分はうまくいっている」という奢りもあったから

余計に学校という組織のことに目をむけていなかったと思う。

 

それから数年、学年主任も経験し、学校在籍も長くなってきて、より学校という組織全体で物事を見るようになった。

自分の発言が通るためには、日々の自分の行いと根回しがすべてものを言うということがわかった。

しかし、気づいた時には、私にとって居心地のよいとはいえない場所に変わっていった。

理由はわかっている。でも、これ以上は具体的すぎるから書けない。

 

日々モヤモヤする中で、「自分はこの組織に居場所はない」「別の場所に変わったほうがいいのは」

そういうことを考える一方で、「自分にできることをしよう」「少しでもよりよくしよう」という気持ちの狭間に揺らいでいた。

幸い、育休という制度をとることで、一度学校という組織から離れ、自分のことだけを考える機会を得た。

そこで、一番感じたことは、「期待しない」ということ。自分がどうあがこうと、変わらないものは変わらないし、いきなり変わるものもある。だから、ま自分を犠牲にしてまで、「組織のために」「少しでもよりよくしよう」となんて思う必要はないとも思った。

 

最低限のことを終えれば、離れたらいい。あとは自分の好きなように使う。それでいいじゃないか。そのように思うようになった。

 

しかし、実際に復帰をしてみたら、そのように気持ちをコントロールすることができなかった。やっぱり、現状をよりよくしたいという気持ちと「この場所は居心地がいいとはいえない」という気持ちが増幅し、爆発しそうになった。

 

そんな時に、ある後輩からアドバイスをもらった。すごく的確なアドバイスだった。「おにさんが動くことで何のメリットがあるんですか」

確かにそうだ、と思う。あんまりこのようなことを言いたくはないけれど、自分は学校という組織の中では「変人」域なんだろう、と思う。

本を読み、県外にセミナーにでかけ、Zoomを使って全国各地の人と学ぶ・・・そんな人のほうが変わっていて、そんな人がいうことなんて「何いってんのこいつ」だということ。確かにそうかもしれない。

 

そういう反応は今までに何度かうけた。結局それが自分の発言力を落としていったんだと思う。

 

それ以来は、わりと気持ちの整理がついた。

そして、先日とある高校の校長先生と話をした。

周りからは「改革派」の校長先生だ。そして、その校長先生は言った。

「管理職がブレーキをかける組織は変わらない。変わらない組織の原因は管理職」

なるほど、説得力がある。そして「学校は海の底。自分が言っていることが伝わるはずがない。時代が後からついてくる」

なるほどな、と。

何より、学校という組織に長年いて、改革を進めてきた方だからこそ言える話だな、と思った。

そして、今自分自身がぶつかっている課題でもあるな、と感じた。

 

さて、これからの自分はどうしようか。

「期待せず、我慢せず、チャンスを待つ」

育休中に考えた心がけだが、我ながら、いい心がけだと思っている。

そして、チャンスはきた。ICTだ。

この文章の中で「結局は管理職だ」と言ったけど、

いくら管理職がリーダーシップを発揮しようとも、管下の職員が動かなければ管理職は何もできない。

そういう意味で、私の今できることはICTだ。

 

ほぼ、まっさらの状態に自分がファーストペンギンになっていくことになりそうだ。

「居心地が悪い」と思っていたのは、自分の錯覚で、

自分自身が見えてなさすぎた、というのが正解なのかもしれない。

管理職が何を求めているか、周りが何を大事にしているか、そいて自分という存在をどのように見てもらえるか

もちろん、期待はしない。こうなりたい、という姿はない。

でも、できる限りやる。うまくやる。ジワジワやる。それが、あと残された自分のやるべきことだ。

 

 

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