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デジタル時代になろうとも

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授業で、アサガオの観察をしました。

アサガオの花びらをやぶいて、中身をみました。

 

「おしべって5本くらいあるのね」

「めしべよりもおしべの方が多いのね」

「めしべの先の丸い部分ってなんだろう」

「花粉がついている」

 

実際に見ることで、色々な「気づき」や「疑問」が見つかったようです。

 

日常生活を送っていて「花の中身はどうなっているのか」と疑問に思うことは

そう多くないでしょう。あえて授業で「観察」することで、「そうだったのか」と気づくこと

それこそ「学び」ではないか、と思います。

 

アサガオは「おしべ」「めしべ」があって、「おしべ」の先に花粉があって、それが「めしべ」について「受粉」し、「実」ができる。本や塾で学んでいる子は、この「知識」を知っていると思います。また、最近ではデジタル機器を利用すれば、実際にアサガオをみなくても、詳しくそれらの様子を見ることができます。

 

しかし、アサガオに「触れて」みることで、柔らかさや匂いを知ることができます。

花の中に虫が入っていたり、おしべの先に花粉がついていることも、じっくり見ることができます。「意外と小さい」ということに気づけることも、実際に見てみないと分からないことです。

 

デジタル機器を活用して授業するのはある意味「楽」です。

教科書を読みあげる授業も「楽」です。

「おしべ」「めしべ」「受粉」などの知識を知ることはできます。

しかし、テストの点数にならない、形にも残らない「経験」が「実際に見る」ことで

得られます。それこそ、「学び」なのではないか、と思います。

 

「他の植物はどうなっているんだろう」

「花粉って形が全部同じなのかな」

 

湧き上がる「学ぶ意欲」は「実際に見ること」からはじまるのではないか、と思います。

デジタル時代になろうとも、忘れてはいけないことだ、と思います。

「ウィズコロナ」ともいいますが、ただ教科書をなぞる学習を毎日するだけでは、

真正の学びとは言えないのではないか、と思います。

 

土曜授業や短縮時制。そもそもこれらの取り組みは、何のために始まったのか、もはやその意義も見失われています。ただただ授業数だけを稼ぐようなやり方は早いところ見直して、「学び」を取り戻してほしいところです。