ビジョンとミッション
めざすべき方向性と、取り組むべき課題。
意識していることもあれば、意識していないこともある。
しかし「ビジョン」のない仕事や活動は結局「みせかけのミッション」をやらされているだけで、ただの「負担」でしかなく、「やりたくない」と思ってしまう。または、何も考えずに
「作業」になる。
学校でいえば、ドリルの宿題がいい例だ。
「ビジョン」がなくて、「やらされるだけの課題」そこにはやる気も生まれないし、中身もない。ただ「こなす」だけ。しなかったら親や先生に叱られるし、やったとしてもほめられることもないし、楽しくもない。結局何も考えない「作業」になる。
「今日は宿題なーし」
「いえーい」
そんな声が時々教室から聞こえてくるけど、「ならいったい何のために出しているの」と
お互い気づいていない。哀れとしかいいようがない。
学校には、このような「ビジョン」のない「ただやるだけの課題」が結構ある。
そしてそれに自分たちの首がしめられていることに気付いていない。ひどいものによっては、
勤務時間外にもまたがるし、持ち帰りや土日の仕事にもなる。校内研究がいい例だ。
もちろん、こんなことを考えなくても学校は続く。
子どもたちは学校に来る。
しかし、本当にそれでいいのか。10年、20年先、子どもたちは本当に未知の未来で
生き抜くことができるのか。「自分ができればそれでいい」と本を開く子。
「仲良しと関われたらそれでいい」とおしゃべりを続ける子。
周りが困っていようが、傷ついていようが関係ない。自分がよければそれでいい。
当たり前のことだ。自分だってそうだ。でも、そこを乗り越えるには、「ビジョン」が必要で、「ミッション」が必要だ。「どんな子どもたちに育ってほしくて」「どんなことを言葉かけするか」最近そんなことを子どもたちから感じられたことはない。
こんな話をするのは無意味かもしれない。何も響かないかもしれない。
でも、噛み砕いて噛み砕いて、語りにのせる。それが『学び合い』を実践してきて
ずっとしてきたことだ。集団の2割に火をつける。中身じゃない、雰囲気でもいい。
次の研修の目標はそれだ。
期待はしていない。何を言おうが変わらない人が気になるだろう。
でも、いい。信じるしかない。