2年間の総括
もしかしたら、私が担任をしていた時に、子どもたちに求めていたものは、高い?(こだわりの強い)ものだったのかもしれない。それによってある子にとっては、グンと力を伸ばす機会になったかもしれないし、ある子にとっては、必要以上に要求をされる迷惑な時間だったのかもしれない。
僕はある種「恐れ」を持って、子どもたちに求めていた。
「学級崩壊」「いじめ」「保護者からのクレーム」
こういったことへの恐れだ。よりよい学級づくりができなければ、どこかで綻びが出て、
崩れていってしまう・・・。もちろんそれが担任をしている時だけではなく、次の年以降も・・・。
そんなことを「恐れ」ていた。
しかし蓋をあけてみれば、そんなことは全然なかった。
私から見れば気になることも、全然問題なさそう。
私が不安に思っていたことも、全然問題なさそう。
ああなんだ。自分だけ一生懸命になりすぎていたのかな。
もっと「ほどほど」でもよかったのかな。
・やらされる宿題ではなく、自分で考えて学べるようにすること
・時間を守ること
・姿勢をただし、座り方も気をつけること
・机や教室は整理整頓すること
・一言、挨拶をすること
・掃除は自分たちで考えて、取り組むこと
書き出していたらキリがない。
私が担任していた時のことなんて、過去のこと。
私が担任していたクラスなんて、過去のこと。
正直「どうでもいい」んだろうな。
ただ、何かしら感じてほしい、言葉にしてほしい、という自分がどこかにいる。
「おに先生の、○○(取り組み)よかったですよね」と。
○○には、できれば『学び合い』が入ってほしいなと思うところだけど・・・
なんていったって、力を一番入れてきたところだから。
そこに「価値」を感じてもらえないのであれば、なんだか悲しい。
とはいえ、自分が今まで担任してきた子たちも、その前の先生たち、保護者など多くの大人たちが関わってきた末の姿。自分がすべて「変えた」だなんて甚だ傲慢だ。
担任をした1年、担任を離れた1年。
2年間の気づき、今更ながら見えてきます。