ふと、蘇る苦い思い出。
学校から離れて数ヶ月。
学級担任から離れて1年以上になる。
おそらく今後、学級担任をすることはもう数えるくらいしかないんだろうな、と思う。
できればもっと、満足して終えたかったというのが本音だ。
何が「満足」できなかったのかというと、自分自身の器の小ささによる失敗だ。
あの時、なんでそんなことをしたんだ。
あの時、もっとこうしておけばよかった。
ふとした時にそんなことが蘇る。
『学び合い』実践者として、経験者として人に話す機会も増えた。
その度に思う。
「俺はこんな綺麗事を話していい教師なのか」と。
学級担任時代に、担任していた子たち数名から「お前何言ってんの?」と言われることを
想像しただけで、「そうだ、その通りだ」と言ってしまいたくなる。
そのような後悔とか引目のない、一年を過ごして学級担任の役目を終えたかった。
「俺は教師ができて最高だった」と言って終わりたかった。
そんなことを思うことが増えた。
当時は当時なりに、一生懸命やっていた。
今は冷静に過去を見ているから、「こうすればよかった」と言えるけど、
実際にその場で、冷静に対応できるか、といえばそうとも思わない。
今でさえ、あの時のクラス、あの子たちはあれ以上、どうすればよかったんだ、と思うことだってある。我ながら、やりきったよな。と思うこともある。
『学び合い』は「マシになる」という言葉があるけど、本当にそうだと思う。
『学び合い』をしたからといって、パラダイスのようなクラス、授業になるわけではない。
『学び合い』をしなかったとすれば、それよりはマシ。だけど素晴らしいわけではない。
ああ、そう考えると今しっかり充電して、器を広げておくしかない、か。
いつかまた、機会をもらった時に、「最高だ」と思えるようになるために。