かけがえのない日々だったんだ
『学び合い』に出会ったのが2013年。
それから7年間、『学び合い』を学級担任として実践させてもらいました。
それから担任を外れ、学校から離れて1年ちょっとになります。
最近になって、『学び合い』を実践していたことが懐かしくなってきました。
大変なこともあったし、自分の納得できるようなことばかりじゃなかったけど、子どもたちの成長を見れる日々、子どもたちと「学び」を試行錯誤していく日々、そして担任の自分の力ではできるはずのなかったことが起こる日々・・・そんな日々を送ることができたのは、『学び合い』のおかげ、子どもたちのおかげだったことを、今になって感じます。
あの当時は、そのような日々がかけがえのない日々だったことなんて思ってもいませんでした。いつかは担任を外れる日が来るだろうなとは、どこかで思っていても実際にその日が来るまでは実感を持っていなかったです。
最近、ICTを活用推進していく仕事をしている関係上「ICTをどう授業に活用するか」という話を聞くことが多いです。特に若い先生からそのような話を聞きます。短い時間の中での話なので、その先生がどんなことを願い、どんな教育実践をしているか、すべてが見えるわけではないのですが、なんかこう、僕が担任時代に感じてきたワクワク感がないのです。
僕は幸い『学び合い』を実践することで知ってしまったんだと思います。
子どもたちと過ごした「かけがえのない日々」を。
数年前は気づいているようで、気づいていませんでした。
目の前になくなってはじめて、そのありがたみがわかってきました。
さあ、僕はこれから何を目指していくべきなのか。
担任に戻って、あのかけがえのない日々をまた追い続けるのか。
それとも、後輩たちに同じ日々を味わってもらうのか。
多分、後者かな。それの方がなんかあってそう。
だから僕は語る。
「ICTをどう活用するか、じゃなくて目の前の子どもから考えましょう。子どもの成長にICTが必要なら使えばいいし、必要ないなら使わなくていい。大事なのは機会を奪わないこと。じっと見守ること。そうすれば、子どもたちは自分にあった使い方をしはじめますよ」と。