昔、山口県萩市の松下村塾の塾舎を訪ねたことがありました。
吉田松陰ら幕末の志士たちが、この8畳一間で学んだとされている場所です。
ここで行われた学びは、まさに「対話」
松陰は教えるだけでなく、仲間達と対話を通じて学び合ったそうです。
人は対話を通じて、学ぶ。
自分の認識と相手の認識をすり合わせ、自分の語りを通して自身を振り返り、時に他人の姿から自身を振り返る。まさに、私が子どもたちから学んだ「対話による学び」です。
残念ながら、教師主導の授業では、「話し合い活動」「交流活動」「対話活動」という言葉にして、似て非なるものが行われています。タイマーで時間が管理され、話す相手も決められている。
学びを深めるにも、時間も足らない。相手にも恵まれない。
本来、学びというものは時間をかけて、じっくり対話を通じて行われるもの。
テクノロジーが発達する以前から人はそのように学んできたはずなのに、いつの間にか
非人間的な行為をしているとしか思えません。
改めて「学びとは」と考えてみたいものですし、教師自身が対話による学びにどっぷり
つかって体験したいものです。