人が学ぶ自然な姿とは
保育参観があり、年長の息子の参観に行ってきました。
魚好きの息子は、終始ペーパークラフトに取り組んでいました。
担任の先生が毎日準備をしてくれて、作品箱や竿を作ってくれるので、
息子は飽きずに毎日作り続けているようです。
他の子達はブロックやお絵描きやママごと。それぞれやりたいことを、1人だったり、グループだったりして取り組んでいました。これが、子どもの自然な姿なんだろうな、と思います。
子どもたちの様子を見ながら、先生や他の保護者と一緒に話す時間は、まさに『学び合い』の公開のよう。1年生担任をしていた時、毎週水曜日を『学び合い』公開の日にしていた事を思い出しました。
子どもたちはウロウロしながら、自分のペースで、時折グループになりながら学ぶ。
「これが授業なの?」と最初は違和感があった人もいたと思うけど、次第に慣れていった模様。おそらく、保育園や幼稚園の時の姿を思い出したのではないかと今になって思います。
親も先生も自分たちが子どもの頃の「学校」のイメージを当てはめてしまう。
でもそれは、人が学ぶ自然な姿ではない。
全員が前を向き、全員が同じペースで、全員が同じことをする。
「小学校は勉強するところだから」という固定概念が、子どもたちを自然な姿から
遠ざけていっているんだな、と思います。
1年生の後半くらいから多くの子が順応してしまい、ただただ時間を潰すだけになってしまうなんて、もったいこと限りない。
我が子もそういう場所に行くんだと思うと残念な気分になります。
魚に関わることにどっぷりハマって過ごすのが彼にとっての自然な学び。
図鑑を読んで言葉をおぼえ、釣りに行って実物に触る。
学校はいつになったら「自然な学び」の場所になるのか。
そんなことを思った1日でした。