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放任と信任の違い

子どもたちをすべて管理、監視することは不可能です。

学校外はもちろんのこと、学校内でもすべての子どもたちを見続けることは容易ではありません。そうだからといって、学校内で起きたトラブル、事故が教師の責任がないか、と言われたらそうとも言い切れないでしょう。特に授業中ならなおさらです。

 

「責任を取る」という意味でも、授業中はもちろん、できるだけ子どもたちのそばを離れないようにすることは必要だと思います。もし何かトラブルや事故があった時、その場を離れていて「何でいなかったのか?」と追及されても何も言い返せません。若い時に苦い経験をしました。

 

僕は、授業中に子どもたちに活動の多くを任せることが多いです。

だからといって、子どもたちの様子を見ていないわけではなく、じーっと見たり、

時々見たりしています。また、任せていてもその場を離れることはありません。

これには訳があって、教師がいるといないのでは子どもたちに与える影響が全然違うからです

ある意味「監視」の役目も果たしているのですが、それよりもよい意味での「緊張感の持続」のためです。

 

もちろん、最後は教師がいなくても学び、生きていかないといけないでしょう。

自分で自分を律し、自立していくことは目指すべきことです。

しかし、人間そんなに甘くはない。それは自分自身も含めて。

やっぱり、多少なりの「緊張感」がなければ、どんどん堕落していくものです。

集団が十分に機能していれば、そのスピードも変わるのでしょうが、やっぱり教師の存在は

必要だと思います。

 

このような理由で、僕は教室を離れることはほとんどしません。

子どもたちが散ってしまう時間でも、見回りは欠かせません。

 

これが「放任」と「信じて任せる」ことの違いだと思います。

当たり前に教室を離れ、学びの質や集団の状態に気づかず、何か問題があったら、子どものせいにする。これを「放任」と言う以外に言葉が見つかりませんし、さらにそれを放任する、管理職もいかがなものか、と思います。氷山の一角かもしれませんが、私は大きな問題だと思います。