「公文式」に対するホリエモンの見解に対する私の見解
先日、ホリエモンこと堀江貴文さんのTweetや動画を見かけました。
「公文式」で身につけるようなテクニックは必要ない。
テクニックよりも理論の理解やや理論を考えられることが、これからの社会に必要
子どもはたくさん遊んで、仲良くなるスキルを身につけた方がいい
そんな趣旨の話でした。
私も関心のある話だったので、ホリエモンさんの見解に対する見解を書きたいと思います。
まず、公文式がいいか悪いかというより、「単純な四則演算の練習や習得が必要か」という
テーマで考えたいと思います。
結論から言えば「今の学校教育の中ではあった方がいいけど、目標にするものではない」です。
堀江さんの言うように、これから求められるのは、いわゆるペーパーテストの点数のような
暗記型、解けるか解けないかのような学力ではなくて、物事を関連づけて考えるとか、自分なりに情報を整理して表現するとか、創造的な発想だとか新しい社会に生きていく力というのは
何度も言われてきたことです。
しかし、実際に学校で行われている授業、特に算数の授業はというと、そのほとんどが「四則演算を素早く行う」ことが求められていて、四則演算ができないと授業についていけないことがほとんどです。行われるテストの点数も上がらず、子どものやる気はどんどん落ちていくでしょう。また、保護者もテストの点数で子どもの学校での学習を判断するわけですから、さまざまな方法で子どもに勉強を強いるわけです。学校もそれに応えるような形で、宿題を出したり「学力向上」を謳います。これが現状だと思います。
だから「公文式」で教えられるような計算のテクニックが必要ないかといえば、現実的にはまだまだ必要だと思います。
そこで私は単純な四則演算「なんて」練習次第で誰でもできるようになるんだから、練習をして身につけて、学校だからこそ学べることを学んでいこうよ、と考えています。具体的には、算数の授業のはじめに「100マス計算」をします。それぞれ解く時間を記録して、その伸びを把握します。それだけです。
1日5分程度の活動ですが、子どもたちは集中しますし、自分の伸びを自覚できるし、四則演算できるようになるので、いいことだらけです。ただし、それ以上の計算練習はしません。ドリルの宿題も強制しません。家庭学習では、自分なりに考えて取り組む課題や、自分の関心のあることを学ぶべきだと思うし、学校ではクラスの仲間と一緒にたくさん交流して学んだ方がいい。
私はホリエモンさんの公文式に対する見解について、このように考えています。
あくまで私なりの見解で、他の学校の先生たちが同じように考えているわけではないと思います。あしからず。