参観がおわって
まだまだ余裕がない。
最近は帰宅時間もかなり遅い
いやあ、慣れないことってこういうことかと。
期待されてるの?
いかん、
アップが滞ってました。頑張ります!
入学式から1週間。
初めての一年生担任にあたふたしていたら、
あっという間に参観懇談会を迎えました。
授業はひらがな「え」の授業。
その後の懇談会。
正直、迷いましたが
『学び合い』を紹介することにしました。
おそらく、初めての小学校入学のお子さんの親にとっては、何言ってんの?だったでしょう。若干の不安を感じていたら、そこに援軍が。
昨年担任していたお子さんの兄弟がいるお母さんです。自己紹介の時に、いかに『学び合い』がいいか、どんなクラスになるのか、子どもが成長するのか、具体的な出来事やお子さんの話を引き合いに出して、熱く語ってくださいました。
話すことは実践している私よりも分かりやすかったかもしれません。保護者の方が一教師の一実践を理解してるのは、お子さんが『学び合い』を理解し、気に入って、よさを語っていたからだと思います。そして、クラスの様子、変化を目の当たりにして、確信を得たのでしょう。そしてこのような場で語ってくれること、とてもありがたいです。
ああ、この期待にこたえられるか。
不安であり、
頑張りがいがあるなと思います!
あーあ
今日は嫌なことがありました。
まあ働いていたらこれくらいはあるか。。
でも、教え子たちの入学式にすこし参加して元気が出ました。
気を取り直して自分を見失わないように。。
コントロール
1年生の担任として何をすればいいか、勉強するために、いろいろな教育書を読みました。すると多くの本に、1年生の子どもたちにはじめに話すことが書いてあります。
このような感じです。
「はじめは先生のお話が聞けるように指導しましょう。1年生の子どもたちはほめられるのが好きです。『上手な姿勢ですね』『賢い一年生』『スーパー一年生』などとほめて、話を聞けるようにしましょう」
以前までの私なら「ああなるほど」と思い、同じように実践していたでしょう。
しかし、今の私はこのような言葉かけに疑問を感じます。
なぜなら、これは子どもをコントロールしすぎだからです。
「ほめる」と書いてありますが、これは教師の都合のいいように、子どもを仕向けているにすぎません。
おそらく、6年生にこんなことは通じないでしょう。
昨年のクラスの子ならこう言います
「先生の見え透いたおだて言葉、気持ち悪い」
中学生以上ならよりそう感じるでしょう。
1年生はそのあたりがまだわからないから…
果たしてそれでいいのか。
私たち教師は1年生であろうと、6年生であろうと、大人であろうと、
「話を聞いてもらう」ことに対して、同様にかかわるべきではないかと思います。
「ほめて」きかせるようにする小手先のテクニックは、学年があがるにつれ通用しなくなります。高学年になったら、「話が聞けない子」になるでしょう。中学生くらいになったら、あえて話をきかないで、じっと座っているという術を学ぶかもしれません。
私は一年生であっても「話を聞いてくれてありがとう」という想いはもっておきたいし、どうしても話を聞いてもらわなければならない場合は「聞いてもらえませんか」
とお願いすると思います。
そもそも、聞き手というのは、「自分に必要だから」聞くのであって、
必要のないことを聞かせるのは「強制」であり、ほめることによってそれをさせているのは「コントロール」だと思います。
まあ、教師の世界では「当たり前」とされていることが、
もしかしたら「おかしいんじゃないの?」と見直す必要があるかもしれません。
一年生
私「いつか1年生の担任したいなー」
「先生、顔こわいから無理でしょ」
「顔見て子どもたち泣いちゃうんじゃないですか?」
「似合わねー」
「先生は高学年があってるよ」
昨年度、冗談で1年生担任のことを話すたびに、6年生の子どもたちから笑われ続けました。
私自身も低学年、ましてや1年生の担任をするなんて柄でもないので、教師人生一度も経験することなく終わるだろうなーと思っていたら、今年度の担任発表でまさかの1年生担任。
「あるわけないだろ」と思っていたので、発表の時は驚きすぎて倒れそうになりました。
「えーー。イメージがわかない!」
事務室やPTAの方々にも大笑いされました
家に帰って妻にも笑われました。
早速 撮り溜めていた、NHK「お母さんといっしょ」のビデオを見直し、体操のお兄さんのイメージをつかみました。
今日の始業式、はじめて担任発表されない時間。
過去担任していた5年生から大笑いされる、1年生担任オオニシ。
「ひらがなだー」
「机ひくーい」
「せいかつかー」
とにかく来週の入学式が楽しみです。
本能
【それは本能ですか?】
科学的根拠があるわけではありませんが、1歳8ヶ月の息子の保育園生活を見ていて感じることがあります。
「やはり人は本能的に助け合うのでは?」
息子は朝早くに保育園にいくので、しばらくの間、他学年の子達と一緒に過ごします。
すると、ちょっと年上の子達が、いろいろお世話をしてくれています。年上といっても3〜4歳くらいの子達です。先生たちがお願いしたわけでもありません。
今日、保育園の先生から
「お子さんがお兄さんらしくなってきたんですよ」と言われて意味がわかりませんでした。
話を詳しく聞くと、息子が0歳のハイハイもできない子が泣いているところにいって、おでこをなでたり、おもちゃを見せていたらしいです。
言葉もしゃべれないし、なにかの教育をしたわけでもありません。家の中では、助けるようなことなんて一切ありませんし、そもそも自分でできるこは限られてます。
でもそんなことをするなんてのは、本能的なものとしか思えません。
ならば、小学校に入ってなぜ、助け合ったりすることが減ってしまうのか。いじめが起こるのか。
差別が起こるのか。
学年、学級、授業のシステムが
子どもの本能を押さえつけているのではないかと思います。
学年という垣根をこえて、学級という壁をこえて、授業という型をなくせば、子どもたちは、
自然な状態で、助け合えるのではないのかなと思いました。
さあていよいよ新学期。
楽しみになってきましたよ。