おに先生のブログ

小学校の先生のブログ 『学び合い』やってます

基本を知らずに何をやっていたんだ・・・

いったい今まで何をやってたんだ・・・

この本を読んで、愕然としました。

学校の教員として作成する、文書、お便り、スライド・・・

基本も何もわからず我流でやっていました。

 

もちろん「相手が読みやすい」「読みたくなる」ものを意識して作成して

いたものの「基本」が何も分かっていないから、一貫性がない。

「基礎基本」なる言葉はあまり好きではありませんが、さすがに知らなすぎました。

 この本は私が今までに知り得なかった「よい資料」を作るための「基本ルール」が丁寧に書かれています。読み進めながら「知らなかった!」「そうすればいいんだ!」が溢れてきます。

 

誰も読まないのに、誰も関心を持たないのに、時間だけかけて作る資料くらい効率の悪いものはない。これから先必要なスキルの一つだと思います。自分のものにするためにも、自分なりに取り組んでみて、身につけていこうと思います。

 

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このように「まとめ」て発信していこうかな。

いい加減、宿題見直しましょうよ。

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先日の投稿で「学校の宿題をなんとかしたい」と書きました。今に始まったことじゃないですが、漢字ノート、計算ドリル、音読・・・のように、一律に同じ内容、同じ量を課する「宿題」は、いよいよ見直すか、なくすべきだと思います。
 
その課題では、簡単すぎる子もいれば、負担な子もいる。
言われたことだけやる子、つまらない勉強を「学習」と考える子を育てることになる。場合によっては、親に負担を負わせることになるし、なんらかの事情で取り組まない子は、登校した後ペナルティなんてことも。もはや誰も得をしません。
 
昨年の休校時に、課題だけを配布する学校に対して批判が話題になり、変化があると思いましたが、目立った変化はありませんでした。そして、あれから約1年。再度「宿題」を見直す機会がやってきました。端末の持ち帰りです。
 
連絡手段のデジタル化、端末使用の日常化など、期待されることはたくさんありましたが、やはり私の関心は「宿題の見直し」
 
いろんな方法を考えましたが、やはり保護者と子どもの意見を聞き、実態を知ることが必要だと思いました。
 
Googleフォームのおかげで、アンケートを取ることは容易になりました。あとは集まったアンケート結果から、保護者や子どもがどう感じ、どのような意見を持っているかを分析し、今後の方針を練ることだと思います。
 
さあ、多様な意見が集まることでしょう。
正反対な意見もあるでしょう。それに対してそう反応するか。
考えられる答えは一つ。
 

どうしたいか、だと思います。

 
 
でも、この機を逃したら、保護者の気持ちはどんどん学校から離れていくでしょうね。
アンケートを取るということは覚悟を決めるということですよ。

学校をつくり直せるのは・・・

 

「学校」をつくり直す (河出新書)

「学校」をつくり直す (河出新書)

  • 作者:苫野一徳
  • 発売日: 2019/03/19
  • メディア: 単行本
 

 学校の先生は、大変だ。

授業だけでなく、行事や事務作業、学年の行事、一人一人の子どもの対応、保護者対応・・・

ありとあらゆる仕事に追われる。

 

Twitterを見ていると、おそらく若い先生の学校現場の大変さを表した発信を目にする。

#教師のバトン というタグにのってだ。

 

正直、僕はあまりこのような声に興味がない。

学校の先生が大変なのは、十分承知しているし、どう考えても制度上おかしなことが

いっぱいある。一歩間違えれば、精神的にも肉体的にもボロボロになるし、まともに休めない。病気になる先生がたくさんいるのも知っている。

 

でも、Twitterで発信される「学校の先生大変」のツイートには「こんなに大変なんだよ、誰かなんとかして」という意味合いが強いように感じる。はっきりと「文科省がー」「教育委員会がー」という書き込みもある。

 

残念ながら、どんだけその方々が「教育委員会がー」「文科省がー」と言っても、何も変わらない。「自分の声がなんらかの形で届けばいい」と思っているのかもしれないけど、はっきり言って届くわけない。匿名の本当かどうかも分からない発信に対して行動を起こすわけないし、そもそも組織はそんな簡単に動かない。

 

組織はいろんな人たちが集まって構成されている。でも、その一人一人がすべて自分の意志で行動しているわけではない。もし好き勝手にやってたら、組織なんて成り立つわけない。上からの命令だったり、上から降りてくる仕事だったりを、機械的にこなしていたり、もうすでに決まっている仕事をこなしている部分があるから、組織として成り立つ。

 

そんな組織の誰かに「学校大変なんですよ」なんて声を届けたところで、「大変ですね。でも、上が・・・」とか「他の部署が・・・」という話になる。組織なんてそんなもんだ。

ただ、何にも相手しないわけではなく、ちゃんと名前出して、団体になって交渉するのであれば組織も対応する。あとはマスコミ、政治家の声もだ。Twitterでどんだけつぶやいたところで、何にも変わらない。

 

だからといって、悲観する必要はない。

組織に学校を動かす力はほぼない(運動会を止めるとか、休校にするとかいう権限はあるけど)だから結局、子どもたちに対して、学校に対して何かを働きかけることができるのは、学校の先生しかいないということだ。労働環境が悪いのはわかっているし、膨大な仕事があるのも分かるけど、それを減らすも増やすもその先生次第だ。

 

「学校をつくり直す」を読んでほしい。学校をよくも悪くもするのも、先生次第で、

先生が変われば、明日にでも教育は変わる。「教育委員会がー」とかTwitterでつぶやいている暇があるなら、さっさと自分が変わって、教育を変えてほしい。一人でできないなら、仲間を見つければいい。繰り返し言うけど、学校の先生は大変だ。無理してまで続けたら、身が持たない。だからうまくバランスとらないといけないし、休んだり、仕事を辞める時もあるかもしれない。

 

でも、その大変さも変えようとしないと変わらない。僕はまだ学校を何とかする気でいる。もう何年も前からずっとそう思っている。

一人で声をあげ続け、もがいている。少しずつ仲間が増えてきている。

フォントに少し詳しくなった

最近、スライドを作る機会が増えてきました。

その上で気づいたこと。

 

PowerPointって色々できる!!

 

ありがたいことに、今の職場では時々、PowerPointの使い方を学ぶ機会があります。

 

今日学んだこと、1つ目。

 

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あまりに数が多いので、何にも気にせずに使っていたのですが、UDデジタル教科書体とその他のフォントなど、見やすや使いやすさがあることを知りました。

最近は、UDデジタル教科書体のNKーRを使っています。

 

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最近、Youtubeを見ていて、サムネイルとかテロップとか、文字って工夫されているんだな、と言うことに気づきました。そして、どうやってそういう文字作っているのか全然わかっていなかったけど、PowerPointで結構できることを知りました。

 

 

いやー学校の先生していたら絶対知らなかった。これを機に、PowerPointをもっと勉強してみようかな。

ICT推進役がICT活用なんてどうでもいいと言ったワケ

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「ICT活用なんてどうでもいいんですよ」

 

数ヶ月前にこんな「暴言」を吐いた僕ですが、現在は仕事柄「ICT活用指導力向上」とか「ICT推進」とか「ICTを効果的に活用した」とか毎日毎日、見聞きしてICTだらけです。見飽きて来た時は、I(いつも)C(ちょー)T(たのしい)とか適当な語呂を考えています。アイデアあったらください。イチローさんは、CMで「いつも ちょっと違う Tomorrow」と言っていました。
 
そんな私ですが、なんであの時「ICT活用なんてどうでもいいですよ」と言ったかわかってきました。「どのようにICTを活用すればいいか」とか「ICTを活用した授業はどのようなもの」とかって、たいてい主語が教師。教師がどんだけ工夫して活用したからって、根本的には今までと何にも変わらない。だから、今現在言われている「ICT活用」は「どうでもいい」ってことなんだろうな、と。
最近、5歳の息子に、画用紙と鉛筆をわたしたら、大好きな海の生き物を自由に描きまくりました。それからというもの、本やYoutubeでインプットしたことを描きまくっています。勉強要素を含めて「1日にあったことを振り返って描いてみて」とか言っていますが、僕は何を描くかも、描き方も教えていません。
 

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「どのように画用紙を活用すればいいか」
「画用紙を活用した授業」
なんて大人が言い出したらバカバカしいですよね。
でも、おんなじことをICTという言葉使ってやっている。
だから「どうでもいい」と思ったのでしょう。
どのように活用するかは、子ども(学習者)で、何をするかも子ども。
じゃあ大人(教師)は何をするかっていうと、新しい目標伝えたり、価値づけをしたりすればいい。いや、そんなことすらも余計なお世話かもしれない。

僕の今のミッションは「ICT活用」の主語を子どもにすること。

子どもが主語だったら「ICTはどうでもよくない。むしろいい。」

 

幸いまだ未開な部分だから、

「ICT活用ってこうですよ」って言い切ってもいいかもしれない。簡単じゃないと思うけど、

作戦はある。一歩ずつやっていこう。

 

 

メタ認知・心理的安全性・神経伝達物質

おそらく僕は、気が散りやすい方だ。

だから、場所を変え、気分を変え、方法を変えて、自分なりの「集中する方法」を

いつも考えてきた。

 

一番はじめは、大学受験のための勉強をしている時だったと思う。

家では音が聞こえるから集中できない。

だから、近くの自習室に通ったり、学校に行ったり、電車に乗ってみたり・・・色々試した。

また、同じ教科を勉強し続けることも難しかったので、散歩したり、運動したり、気を紛らわせたり・・・色々試した。

 

結局、大した結果は得られなかったと思うが、「自分なりの最善の方法は何か」という姿勢は身についたのではないか、と思う。これこそ、私なりの「心理的安全性」を確保し、「メタ認知」していることだったんだろう、と今更ながら思う。

 

 

「心理的安全性」「メタ認知」については、この本でテーマになっていら2つの事柄で、

「脳神経科学」の視点から人がよりよく生きていく上で欠かせないことだと感じた。

 

受験勉強期に、自分に合った勉強法を見出そうとする姿勢は、結局その後の人生でもずっと続き、勉強方法だけでなく、「働きやすさ」「生きやすさ」を自分なりに見つけようとする姿勢につながっている、と思う。

 

そう考えれば、その当時の試行錯誤は無駄ではなかった、とも言える。(当時の自分は成績を上げることで必死だったから、15年以上先のことなど考えているはずない)

 

さて、気が散りやすい僕は、いろんなことに興味・関心を持ちやすいが、一つのことに集中できない、という弱さがある。

 

・音楽

・野球

・読書

・英会話

・筋トレ

・マラソン(ランニング)

・仕事

 

ざっと挙げればこれくらいあるが、続いているのは「仕事」くらいではなかろうか。

次に「筋トレ」と「ランニング」が続いていて、その次に「英会話」か。

 

筋トレについては、何度もこのブログで書いたが、自分に合っている「習慣」の一つではないか、と思う。

 

この本を読む前から、自分なりに「筋トレ」には興味はあった。

しかし、続かなかった。結局「目的」がはっきりしていなかったことと、続けるための「戦略」がはっきりしていなかった、と思う。

 

自分なりに筋トレする目的は「達成感」と「気分転換」だ。

この本に書いている通り、筋トレをすると、悩んでいたことがどうでもよくなり、

達成感に溢れて、気分がよくなる。ヘラヘラ笑って、気持ちが悪いくらいだ。

 

この「達成感」と「気分転換」は、筋トレの最大の魅力ではないか、と思っている。

そして、これは脳内の神経伝達物質も影響している、と言える。

筋トレをすると、「テストステロン」という化学物質が脳内で放出されるらしいが、

まさに「達成感」「気分転換」の原因はこれ。

 

この時はっきりわかった。自分の気分なんてのは、わりとコントロールできる、ということを。悩んでいる状況は何も変わらないのに、さっきまでのイラつきはどこにいったのやら、不思議なくらいだ。脳内の神経伝達物質次第で、自分の気持ちは変わるし、自分の人生も変わるんだということを筋トレで学んだ。

 

そう考えると、自分が気が散りやすいタイプだというのも、うまく付き合っていくことができる。自分なりに、集中しやすい場所と方法を選んでいくことで、集中するための「神経伝達物質」が放出され、「うまくいった」という達成感も生まれやすい。

 

上の本で言えば、「ノルアドレナリン」と「ドーパミン」が関与しているらしい。

 

ん、「ノルアドレナリン」と「ドーパミン」ってどこかで聞いたことなかったっけ。

 

ああ、ADHDだ。


www.youtube.com

 

そうそう、確かADHDってのはこの「ドーパミン」とか「ノルアドレナリン」がうまく機能しないことから、いろんな症状が現れるんだったな。(症状というのは語弊があるが、あえて使う)

 

「自律する子の育て方」にも少し触れていたけど、「ドーパミン」は「やってみたい」「知りたい」からうまれてきて、集中を持続させやすく、「ノルアドレナリン」は「やるぞ」「やらねば」から生まれてくるけど、いろんなことが過敏になってしまう、と。

 

ということは、僕自身は「ノルアドレナリン」が「ドーパミン」より多く出てしまう傾向にあり、集中が続かなかったり、気が散りやすいんだろう。そこをうまくコントロールして、

「ドーパミン」をうまく出していくことで、集中することができる、と。なるほど非常に合理的だ。

 

これらの脳内神経物質を適度に出すために必要なことが、「休養」と「食事」であり、

結局それは「筋トレ」と「ランニング」につながってくる。

 


www.youtube.com

 

この動画では細かく話していなかったけど、結局朝の運動が、ドーパミンのような脳内神経物質をほどよく出させて、それが持続しやすいんだろうなと思う。実際に一年間、朝のランニングを続けてきたけど、その効果ははっきりしていると思った。走った日とそうでない日は、体の軽さというか気分の軽さというか全然違う。同じ1日を過ごすんだったら、気分が優れている方が、いいに決まっているから、僕は毎朝走るようにしている。

 

いや、もはやもうルーティン化しているから、「走ろう」という気持ちもあんまり起こらず、

歯磨きをするくらいの感覚だ。この「ルーティン化」も「自律する子育て」に触れてあるけれど、脳というのは、同じ状態を保つようにできているから、新しいこと、変化に対しては抵抗感を示すとのことだ。「三日坊主」にも言えることだけど、確かにそれは言えている。ただ、それを乗り越えさえすれば、あとは脳の中で「これは異質なことではない」と読み込めば、ルーティン化することができる。実は最近、英会話の勉強が滞っている。間違いなく、脳の影響だ。ここはうまく、理性で「やるぞ」と働きかけないといけない。

 

 

最近、息子がもうすぐ小学校に入学するということもあって、勉強を少しずつするようにしている。もちろん、「やれ」と言っているわけではなく、同じ時間帯に、短い時間で、報酬ありで行っている。まだまだこちらが誘わなければやろうとしないけれど、やり始めたら乗ってくる。最後の方は「やめようか」と言ってもやめない。きっと脳内でドーパミンが放出されているんだろう。ついでに、妻も僕も一緒に勉強をするようにしている。この「家族全員勉強時間」ほどよく、脳のブレーキに対して「やらねばならぬ」という行動を起こすことで、ルーティン化につなげる取り組みだと捉えている。幸い、妻も「15分なら続けられる」「やってよかった」と言っている。やらないことを嘆いたり、やろうとするストレスを抱えるより、

 

「ちょっとでもやった」という達成感がきっと脳内の神経物質を出させているんだろう。

こうやって、うまく脳をコントロールすれば、自分の幸せも作り出すこともできる。

 

 

世の中には、「結婚すれば幸せ」みたいな風潮があるが、結婚したあと離婚することもあるし、実際にシングルマザーはたくさん見てきた。また、妻からの夫への不満も聞くこともたくさんある。「結婚すれば幸せ」はどこに行ったのやら。

おそらくこれも脳内の神経伝達物質とうまく付き合えばよくて、日々の生活に対して、

「心理的安全性」を持ち、「幸せ」と感じられるようになればいいだけだ。その「幸せ」の形は何でもいい。できればお金がかかったり、誰かにしてもらったりする「報酬型」ではなく、

目の前に我が子がいることや、自分のちょっとした小さな成長に対して、「幸せ」を感じられたらいい。繰り返しになるが、「筋トレ」は最もそれを簡単に成し遂げることができる。

 

 

小学校の教員として働いている時は、子どもたちの関わりから自分なりの「やりがい」を得て、いたんだろうなと思う。子どもとの関わり以外にもあまり意味のない仕事を短時間で済ませることに対して達成感を得たり、誰かに貢献して達成感を得たり、単純に「忙しい日々」に充実感を得たり・・・。改めて、小学校の教員から離れてみて思うのが、それは自分の人生にとって必要不可欠な「充実感」ではなかったのではないか、ということ。

 

今、忙しさから離れて、自分なりに過ごしていることにとても満足できているということは、心理的安全性が確保され、うまく脳内の化学物質が出されていることを表しているだろう。

今までの仕事に対する充実感はないけど、自分なりに仕事を見つけたり、学んでいく充実感はとてつもなく大きい。いやむしろ、自分はこちらの方が重要だったのかもしれない。

 

昨年度、3ヶ月育児休業をとって、仕事から離れた時も同じことを感じた。

自分は別に学校の教員として生きていかなくても人生に充実感を得ることができるんだ、と。

今のことろは、学校の教員以外の仕事で何ができるかわからないし、変える必要がないから考えていないけれど、離れてもあまりダメージはないのかもしれない。

 

それも自分が自分のことをメタ認知できるようになったからであり、まあ何とかなるだろう、という気持ちがあるからかもしれない。(もちろん、今は学校の教員でいることの方が収入面で得なので、辞めるつもりはない)

 

 

人間というのは、人生というのはとても面白い。

コントロールできないものだと思っていたけど、だいぶコントロールできている。

今日はロッテリアでこの記事を書いているけれど、仕事にいく前に、こんなことができるだけで幸せなものだ。誰がいったいこんな記事読むんだって感じだけど、この「ブログを書く」ってのも、自分なりのメタ認知的な行為であり、自分の達成感を得るためのもでしかないから、

全然そこは問題ない。ああ、そういえば、このブログにしても、ずっと続けてきたのは結局自分にとって、「書く」ことが、心理的安全性につながるんだろうな、と思う。

 

 

お遊戯会

SNSの魔力、「いいね」を気にしてしまうわけですが、最近気にせずに発信できるように

なってきました。「インスタ」さんのおかげです。あれはいいですね、写真だからいいねがつきやすい。

 

で、今日はいくつか思いついたことをつぶやきたいと思います。140文字という制限がうっとおしい。

 

「つぶやき1」

 

運動会。

なんか延期になったそうですね。

へえ、延期・・・。

 

 

もう、しなくていいじゃん。

 

 

そもそも熱中症の心配が叫ばれて、やっと午前中になった行事でしょ。

あとになればなるほど、気温あがるし、雨も振りやすい。

 

 

親が楽しみにしているから・・・

子どもたちにとって行事が大事だから・・・

 

なんかそんな声が聞こえてくるんですよね。

 

 

へえ、本当にそうなの?

 

聞いてみた?本音を。

 

 

先生たちが決めたダンスをそのままさせている表現

先生たちが決めたよくわからないゲームをさせている競遊

走るのが遅い子は、何もいいことないかけっこ・リレー

 

 

そりゃあ、親たちは楽しみにしますよ。自分たちが子どもの頃やったことだから。

我が子が踊っているのを「かわいい」とか言ってビデオに撮りますよ。

 

でもねえ、よく考えてみてくださいよ。ぜーんぶ、子どもの意見なんてない。

子どもを見せものにして、大人が喜んでいるだけ。お遊戯会じゃん。

 

そんなものを、

暑い中、熱中症対策をしながら、

マスクをして、感染対策をしながら

そんなやらされるだけの行事って、する意味ありますか。

結構多くの子が、大人に付き合っているだけじゃないですか?

 

もう完全に目的を見失っているよね。

 

改めて見直しましょうよ。

何のためにやるの、って。

子どもたち目線で、それもすべての子たちにとって。

 

ちゃんと説明していったら、親たちも理解してくれるんじゃないですか。

学校のスタンスをはっきり説明しないから、みんなそれに流されていっているんじゃないの。

 

 

もう、今年度も今までどおりにはいかないんですよ。

そんなに親に子どもの様子を見せたいなら、オンライン配信するか、動画にして見せたらいいじゃん。リスクあり過ぎのまま、強行するほどの価値のある行事ではないよ、運動会。

 

世界観 一人ブックカバーチャレンジ#5

北海道に初めて渡った4月。

4月といえば、「春」「桜」「暖かい」・・・

それが当たり前の私にとって

北海道の4月は「冬」「雪」「寒過ぎ」でした。

GWに雪が降るなんて、信じられませんでした。

そして、5月頃に桜が咲き、七夕は8月。

今まで過ごしてきた世界は当たり前ではなかったことを思い知りました。

 

そして、短い夏と秋を終え、北海道で迎えた初めての冬。

今でも忘れないのが、11月11日、ポッキープリッツの日に多くの雪が降り、積もりました。北海道や東北で育った方々にとっては、毎年恒例の出来事でしょうが、私にとっては

興奮する出来事。もちろんその後、「猛吹雪」「地吹雪」「雪かき」の現実が待っていて

最初の興奮も跡形もなくなってしまいます。

 

さて、様々な小説を読み勧めていくと、作者によって、物語によって全然違うことが分かってきます。それをまざまざと感じたのが、村上春樹の作品でした。

 

海辺のカフカ(上)(新潮文庫)

海辺のカフカ(上)(新潮文庫)

  • 作者:村上春樹
  • 発売日: 2020/12/18
  • メディア: Kindle版
 

 

全然意味がわからない!

 

おそらくそれまで私が読んできた小説は「エンタメ小説」と言われるもので、ストーリーのある読みやすいものだと思いますが、いわゆる「純文学」にたどり着いたのがこの時初めてでした。ページを読んで読んでも頭にストーリーが入ってこない。知らない単語が多過ぎて、想像がつかない。そんなことを感じました。

 

小説にもこんな世界があるんだ、と初めて知った時でした。

それ以来、「自分に合った小説」を読むことが増えていったと思います。

「少数派」一人ブックカバーチャレンジ④

私が入学した大学は、教員養成系の大学ですから、学校の教員を目指して入学してくる人が

多くいました。でも中には、第一志望の大学に来れずに来た人や、そもそも教員を目指していない学科に入学している人もいました。私も後者で、「少数派」だったでしょう。

 

類は友を呼ぶとでも言うのでしょうか、たまたまなのか

教員を目指してなかったり、浪人を経験したりしている人たちと、よくつるんでいました。

その中で、タバコをふかし、文庫本を持ち歩き、お洒落な音楽を聴く・・・小説に出てくるかのような人たちがいました。

 

私はタバコを吸いませんが、喫煙所で彼らと過ごすことは新鮮でした。

「自分は教員を目指しているわけではない。周りとは違うんだ」

とカッコつけたかったのかもしれません。

 

その中の一人と夜中の駅前でお酒を飲みながら語り合うことがありました。

様々な境遇を生きてきた話に、自分なんて部活しかしてない単純な人生だな、と思いました。

しかし彼は「お前のような真っ直ぐな生き方が羨ましい」と言ってくれました。

 

その彼が勧めてくれたのが、この本重松清の「流星ワゴン」

どん底から希望を見出して現実を生きていく、そんなことを彼は当時から感じていたんだろうな、と思います。

十数年後にドラマ化されますが、なんかちょっと違う・・・そんなもんですよね。

 

流星ワゴン (講談社文庫)

流星ワゴン (講談社文庫)

  • 作者:重松清
  • 発売日: 2012/09/28
  • メディア: Kindle版
 

 

「親になる」連休

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私の妻は、毎年連休が仕事なので、私が一日中子どもと過ごす日が続きます。

普段から子育てに関わっていないわけではないのですが、

「一日中」というのは結構慣れないものです。

「どこにでかけよう」「何をしよう」とか色々考えてしまいます。

 

一昨年は、息子と一緒に電車に乗ってでかけました。

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自分の地元に連れていきました。

自分が幼少期に育った場所に息子と一緒にいるなんて、不思議な気がしました。

以前住んでいた家から駅までは結構な距離がありますが、しっかり歩いてくれて驚きました。

 

平日の日中は保育園に預けているので、息子と顔を合わせるのも朝と夜だけ。

土日休日は妻がいるので、1日中ずっと過ごすこともない。

さらに日々仕事のことばかり考えている私は、

まともに息子と向かい合っていなかったんだろうな、と思いました。

だから、私にとって連休にずっと息子と過ごすことは、

改めて「親になる」時なのかもしれません。

 

この時からもう2年経ちました。

息子はだいぶ手がかからなくなりました。

自転車に乗るし、絵や文字を書けるようになりました。

 

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息子の成長の過程にいなかったわけではないですが、1ヶ月前、半年前、一年前・・・

あの時の息子は、もういません。成長は嬉しいものですが、なんだか寂しい気がします。

 

今は、下の娘がいるので、2人がいる連休です。

 目が離せないし、2人連れてどこかに行くといくと神経使います。

家にいるだけでは、時間が経つのがすごく遅くて、落ち着きつきません。

 

ただ、2年前の写真を見た時に、改めて思いました。

今目の前にいる子たちの「親になる」のは「今だけしかできない」と。

連休に感じたことをこれからも心に留めておきたいです。