おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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#59 同僚ファースト

しんどさを感じている同僚を助けるのはなぜ?

 

仕事だから?

人情だから?

得だから?

 

純粋に相手のことを心配して、同情する気持ち

みんなが働きやすい職場にしたい気持ち

このように考えるのが、理想なんだろうけど

中には、休まれると自分の負担が増えるので、

そうならないように声をかけている人もいる。

 

僕は同僚ファーストでいたいなあと思っている。

 

 

 

#58 ICTを活用した業務効率化

先日、区の教務研で発表をしました。
テーマは「ICTを活用した業務効率化」
いろんな取り組みをやってきましたが、今一番頑張っているのが
「デジタル連絡帳の普及」です。

 

これまで、週末に欠席した子どもがいた場合、お便りを近所の子に届けてもらったり、担任が放課後にポストインしたりしていました。
前者は子どもに責任を押し付けているともいえるし、後者は余計な業務です。

他にも時間割の変更や、持ち物の確認、学級のお知らせを口頭で子どもに伝えても保護者に十分に伝わるはずなく、紙や連絡帳に書かせることは手間がかかるわりに伝わりません。

 

そこで私は教務として担任から直接保護者に対して、連絡事項や写真データを担任から送信できる機能を使えるようにしました。一見、上に挙げたような課題を解消できそうに感じますが、この機能を活用するには、教員側と保護者側に理解が必要です。LINEがなぜ様々な情報ツールとして普及しているかといえば「みんなが使っている」からです。LINEほどとまでは言いませんが、日常的に送受信するものでなければ、使われません。

 

「ICTを活用した業務効率化」は最近よく聞く言葉になりますが、実現するには地道な普及活動が必要です。そして使い慣れた時には「便利」と思われません。僕がやっていることは本当に地味なことですが、誰かがやるから実現することだと思っています。

#57 僕にできること

同僚のいいところを見つける。発信する。

いい感じの実践している同僚には価値づけして褒める。

 

子どもたちが「面白いな」と思えることをちょっとする。

補充があれば、難なく替わりをする。

 

ICT関連の取り組みを進めまくる。

保護者への連絡手段を切り替える。

 

行事の精選というより、時数の削減。

とにかく子どもを早く帰す。余裕のある教育課程。

 

職員室で時々雑談しつつ、すぐ帰る。

明日も元気にスタートする。

 

#56 管理職に求めることは

「二段上の視点で仕事をしなさい」

 

先日聞いた話で、心に響いた言葉です。

今の立場で物事を考えるより、上の立場で物事を考えることができれば、

「この人の言っていることは、ただのワガママだな」

「このような言動が組織に影響を与えるんだな」と

冷静に分析できます。

 

中間職の僕にとっての「二段上」とは校長や教頭レベルで物事を考えろということでしょう。

自分の仕事をしながら、一段上、二段上の人の仕事をずっと観察して、分析する。

結果、目の前の管理職がどれほどの人間か判断することができ、何かを期待することはなくなりました。

 

できない人はできないし

やらない人はやらない。

やれることだけやってもらって

あとは機嫌よく過ごしてもらえればいい。

 

これが僕なりの管理職に求めることです。

 

 

#55 『学び合い』と教師

『学び合い』を実践する教師は直接子どもを変えようとするのではなく、集団を変えます。

すると、うまく学校生活に馴染めなかった子や勉強が厳しい子によい変化が現れます。

集団の力、子どもの力です。

 

ただし、子どもの変化には時間がかかります。1週間、1ヶ月、半年・・・それ以上の時もあります。

だから、初めて『学び合い』を実践する人にとっては、この期間が「我慢」の時期です。

どうしても直接関わりたくなります。

 

一度、時間をかけて子どもたちが変化することを経験すれば、わりと気長に待てることが多いですが

焦ることもあります。なぜなら、多くの学級担任は、1年間しか子どもたちと関わることができず、それ以降はほとんどの場合

関わることができなくなるからです。

 

担任が変わっても、子ども集団が変わらなければ、子どもたちは学び続け、成長つづけられるかもしれませんが、簡単なことではありません。

多くの場合、新しい担任の考えのもと、授業や学級経営が行われるため、離席や教え合うことも制限されてしまうことが多いです。

自分でどんどん学んでいた子も、全然学ばなくなったり、落ち着いていた子が問題行動を起こすこともあります。

 

大人と同じで、周りの環境が変われば、子どもたちは変わってしまうのです。

 

だからこそ、焦るのです。

仲間がいなくても『学び合い』の環境でなくても、子どもたちが自分の力で学び続け、成長を続けることができるようにしたい。

私はそう思ってしまいます。

 

だから私は『学び合い』を実践しながら、子どもたちの成長を待ちながら、声をかけるようにします。個別の関わりもするようにします。

個々で学べるように、自分で選んで、決めて、学べるようにします。これは『学び合い』のセオリーに反するのかもしれません。

「子どもを信じていない」とも言えるのかもしれません。

でも、私はいいと思っています。『学び合い』の本当の目的は、「子どもたち一人ひとりが幸せに生きていくこと」だと考えているからです。

 

こんな話がしたいなあ。

#54 小学校3年生

1週間、小学3年生の担任を務めました。


時代は変われど、地域は変われど、3年生は3年生。

 

「よくもまあ、そんなにモメるね」と思うくらいモメます。

 

「でも3年生ってこんなもんだよねー」と過去の実践や経験を思い出しながら、必要なことは教え、必要なことは語りました。

 

子どもたちは常に成長過程にあり、失敗を重ねながら学んでいくと思います。

 

その年齢、その学年ごとに学ぶべきことがあり、それを乗り越えていくことで、次の学年以降につながってくるように思います。

 

さて、そんなことを意識している先生はどれくらいいるんだろうか。

 

P.S

小学校3年生の学級担任をしながら、合間に教務案件を進める僕って、結構がんばってるねー笑

#53 教師と子どもの「ズレ」

 

知識・技能

思考・判断・表現力等

学びに向かう人間性等

 

今の学習指導要領で目指している「資質・能力」です。

教科の見方・考え方をはたらかせながら、伸ばしていくものとされています。

 

最近では「非認知能力」だとか「情報活用能力」だとか「◯◯力」もいろいろ出てきて

伸ばす能力のオンパレードです。

 

それに対して教師は、板書をつかったり、プリントや教材を工夫したり、最近ではICTを活用して、授業づくりを行い、子どもたちの力を伸ばそうとしています。

 

しかし、いろいろな教室で子どもたちの様子を眺めていると「◯◯能力を伸ばす」以前の子の存在が気になります。

 

・自ら考えて行動できない

・教科書に書いていることが分からない

・周りの子たちと関係をつくることができない

 

このような子たちの存在を棚上げして、高いレベルのことを目指すことって本当に大事なのかなと思います。学校に馴染めない、学校に来れない子たちは増え、特別支援学級に籍をうつしたり、オンライン学習やフリースクールに行く子が目立つようになったのは、教師側と子ども側に「ズレ」がはっきりしてきたのではないかと思います。

 

正直言って、今学校で取り組んでいる授業研究は、教師のためのものばかりです。

教師が教材を研究して、教師が思うような理想の授業を展開して、それをあーだこーだ言っているだけ。本当に大事なのは、すべての子どもたちが自ら進んで生きていけるようにすること、教科書レベルでいいから「分かる」と思えるようになること、周りの子たちと関係を築きながら、成長していくことではないかと思います。

 

このレベルのことができるようになってから、◯◯能力を伸ばすでも全然間に合うと思います。

#52 『学び合い』の考え方

立場上、出張や年休の補充に入ります。1、2時間だったり、1日通しで入ったりすることが多いです。

その時は大抵、自習補助なので、余計なことはせずに自習の見守りだけをします。

 

しかし、感染症や入院等で2日以上補充に入る場合は、授業を進める必要があるので、担任モードに切り替わります。

 

授業予定を見ながら「どんな授業にしようかな」と考える際に真っ先に思いつくのが『学び合い』です。

「これを課題にして、全員達成を目指せばいいか」という感じで考えます。

 

教材研究する余裕はないし、一斉指導をするのもしんどい。

『学び合い』が一番楽です。

 

「『楽をしよう』なんて、教師としての責任を果たしていないのではないか」という声が聞こえてきそうですが

「楽」で「一番成果が上がる」ことを選択するのは悪いことではないと思います。

 

実際、『学び合い』なんて言葉は使わず

「みんながわかる(できる)ようにしましょう」

「かしこくなるためにできることをしよう」

この2つだけを伝えて、目標を説明し「はいどうぞ」

『学び合い』スタートです。

 

子どもたちは勝手に関わり合います。

 

あとは、子どもたちの学びの様子を見ながら「人に聞けるっていいねー」「自分で考えてかしこいね」と声をかける。

子どもたちを見守り、課題が終わったあと「何のために学校で学ぶんだろうね」という語りをする。

 

典型的な『学び合い』の実践です。

 

こう考えると、『学び合い』の実践ってすごくシンプル。課題なんて何でもいい。

ただ、継続していくのが難しい。

とはいえ、子どもたちが自ら学ぶようになり、子ども同士の人間関係が良好になればそれでいいのかなとも思います。

 

#51 「指導」が難しい令和の時代。

おかしいことは、おかしいと言う。

 

そんなこともできなくなってきたのだろうか。

なんでもかんでもパワハラで片付けられていいのだろうか。

 

結局、何も言わないが一番の得策になってしまう。

そして、おかしな論理が罷り通るようになり、秩序が乱れる。

 

ルールは守るべきだし

マナーも失ってはいけないと思う。

 

ただ、おかしいことはおかしいと言えなくなってきている。

それはヒシヒシと感じる。

#50 結局、教師の力量が問われる

教師の力量が高ければ、子どもは落ち着き、よく学ぶ。

教室の雰囲気は明るく、笑いがあり、気遣いと優しさがある。

集団に一定の規律があり、清掃にも真面目に取り組む。

 

結局、授業と学級経営に尽きる。

 

子どもが悪い、保護者が悪い、支援が足りない、管理職が悪い…そんなことばっかり言ってマウントを取ってた方々よ。

この実態を見てみろ。同じ子どもたちなのに、様子が全然違うじゃないか。

結局、子どもたちが落ちつなかくなったのは、あなた方の力量が足りなかったんだよ。

 

教師の力量次第で子どもたちは変わる。

これは紛れもない事実なんだ。

自らの力量の低さを認めて、学び直せ。

 

それでも、子どもや保護者のせいにするなら、早いところこの仕事から離れたらいい。

変えられるのは自分自身のみだ。