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教育の限界

今日、「教育の限界」という言葉を聞きました。

 

教室で子どもたちを「見捨てない」教育を行っても、

家庭に帰った子どもたちが「見捨てられない」かといえば、そうともいえない。

 

こんな経験があったからだそうです。

 

もちろんそこで終わりなのではなく、

そのために、sswの力と連携して、関係機関と連携していく必要があるということでした。つまり「社会が子どもたちを見捨てない」ということです。

 

もしかしたら「教育の限界」はあるかもしれません。

もちろん、社会のサポ―トがあっても、教育がしっかりしていなければ、

子どもたちは見捨てられるかもしれません。

 

教育だけでなんとかしようとするのではなく、社会全体で子どもたちを育てていく、

その必要があるんだなと感じた話でした。

 

いろいろな人の話は聞いてみるものです。

 

大空小学校

映画『みんなの学校』で取り上げられた大阪の小学校の元校長先生の

お話を聞きました。

 

いろいろ感じることがありましたが、基本的には『学び合い』の目指す姿なんだろうなと思いました。どんなアプローチでもいいから、すべての子を受け入れる学校、クラスをつくらなければいけないなと思いました。

 

そして元校長先生が仰っていた言葉の中で特に忘れられないのは

発達障害があっても、知的障害があっても、自閉症スペクトラムでも、子どもたちは

地域の学校の、地域の子たちと、地域の大人たちと一緒に成長してほしい。分ける必要なんかない。」と言っていたことです。

 

『学び合い』は希望だなあ。

広がるひろがる

今日は、市の教育センターで『学び合い』の研究会があったそうです。

私は、家族旅行でいけませんでしたが。

 

後輩といっていいかわかりませんが、年下の先生が発表をしました。

彼から、何度か「相談をさせてください」と言われたので、

何回か一緒に練習をしたり、アドバイスをしました。

 

先週あった時は、最初と比べて見違えるようにまとまっていたので驚きました。

やはり、自分の実践をまとめるという機会は成長につながるなと思います。

 

そして彼のすごいところは、私を含めていろんな人に相談できること。

これは私も学ばないといけないし、彼の発表練習を聞いていて「あ、そういえばそうだった」と思うこともたくさんありました。やはり、『学び合い』をはじめたばかりの人は私の話を聞くより、彼の話を聞いたほうがいい。

 

これは教室における子どもたちと同じですね。誰が一番の教え手かわからない。

 

 

とにもかくにも、いい会になったそうで、よかったです。

自主性と主体性

ある方が指摘したことで、ハッとしたこと。

言われるまで、意識してなかった。

 

 

http://u-note.me/note/47485918

 

 

こんなサイトがあるけど、厳密な定義はおそらくないはず。

 

指摘した方が言っていた例が、「あいさつ」

 

自分たちが居心地の良いクラスにするために、「朝あいさつをしましょう」とするのが、主体性。

 

大人に言われて自分から進んであいさつするのが、自主性。

 

なるほど。分かっているようで、分かってなかった。この視点で考えたら、いろいろなことが主体的なのか、自主的なのか分かる。

青春はそこに

今日は、野球応援に行きました。

しかも演奏です。私、これでも吹奏楽部出身なんです。

 

すごく暑くて、汗がだらだらでましたが、だんだんそれも慣れてきて

楽しくなってきました。不思議なものです。

 

結果は負けてしまいました。

とてつもない、敗北感がスタンドに包まれました。

今日来ただけの私ですら感じるんですから、ずっとプレーしてきた

野球部の生徒や監督、保護者たちはすさまじいものでしょう。

 

こんな時に、どんな言葉は大人はかけるのでしょうか。

私には分かりません。

でもその言葉が、生徒の今後の人生に影響を与えるんだと思います。

それが教師の仕事なんだろうな。辛いけど。

 

その時にしか学べないことがある。

青春は貴重だなと思います。