ご無沙汰しております
ここ数日本当に余裕がなくて、疲れて、イライラしていました。
もちろん、ブログを書こうという気にもなれず、放置していました。
毎日更新のはずなのに、意志が弱い・・・そんなことを思います。
先日、ある出来事がありました。
子どもたちが私の悪口を書きました。
悪口といっても、傷つけようとしているのではなく、からかっている・関わろうとしているといえる内容でした。それがわかるので、すごくありがたいなあと思いました。
『学び合い』は子どもを信じ、子どもたちの幸せを願う実践だと思いますが、
私はそんなことを語れるようなことは全然できていません。
もちろん、マシにはなりました。以前は圧迫、強制、君臨・・・そんな教師でしたから。
それが、『学び合い』によって、鎧を少しずつ脱いでいけているのです。
でもその鎧は気づかぬ間に、復活していたりしていて、私を苦しめます。
「自分は子どもたちの前で笑っていられない人間なんだ」と開き直ったりすることもあります。
でも、本音はそうではありません。やっぱり子どもたちとニコニコしていたい。
先日、子どもたちから悪口を書かれ、子どもたちと大笑いした時のことを思うと、
私は笑えない人間でもないし、子どもたちの前で君主でいたいわけでもない。
対等な立場で、一緒に笑って、一緒に考えて、一緒に成長していきたい。
心の中ではそう思っていると思います。
でもなかなかできない、それが葛藤です。
私は担任として、子どもたちを平等に「教え子」として捉えていますが、
中には私のペースを「崩す」、特別な子がだいたいひとりくらいいます。
何が特別なのかというと、私がいつものようにしかめっ面していてもまったく気にせず、話しかけてくる子です。
ほとんどの子は、私がしかめっ面をしていると、空気を読んで近づいてきません。
イライラを落ち着かせる時間だったりと、ほんとうに近づいてほしくない時もあるのですが、子どもたちにそんなことを知るよしもないでしょう。子どもたちからしたら迷惑な教師だと思います。
さて、その特別な子は、なぜか私がイライラしていてもさらにイライラさせないのです。
冗談をいってくるんじゃないんです。
「あーーー、先生、顔がむっとしていますよ!」とか
「先生、にーー」(笑顔)とか
思わず笑ってしまって自分がしかめっ面しているのがバカバカしくなります。
こういう子達が私を「崩す」とほかの子達は今なら大丈夫とばかりに近づいてきます。
先日、うちのクラスにいる私を崩す子が、「先生の特徴ってさー」という話をしてきました。
それから周りの子達がニヤニヤしだして、私の悪口を書いてきたんだと思います。
・雑
・いいかげん
・メリハリつけすぎ
・こわい
色々書いてくれました。
それはほんとうにそう思っているんだろうな、すみません、と思う気持ちと
伝えてくれてありがとう、と思う気持ちです。
さあ、夏休みまであと1週間です。もうとくにイライラするようなことはありません。
のんびり過ごしたいと思います。子どもたちともニコニコしていられるかな。
公開
昨晩は疲れ切って早めに寝てしまいました。
通信表や成績のことなら、いつものことなのでよいのですが、
それ以外のことが降ってくるとどうも調子を崩してしまいます。
さて、今日は保護者に『学び合い』を公開する日です。
授業参観とは別です。
「学校は公開しているのでいつでもどうぞ」と言っているので、「公開」は特別なことでもないのですが、保護者は遠慮して気軽にこれるものでもないし、「いつでもどうぞ」のこちら側も周りとの兼ね合いもあります。管理職からの理解も。
4月から着実に進めてきました。
「なんでこんな忙しい時期に」と言われますが、私にとっては、
この時期だからこそ、です。子どもたちも『学び合い』の授業を説明する資料を作成してくるほど気合が入っています。私は、課題を練って、保護者配布の資料を作って、あとは見守るだけです。
ロックのテーマが聞こえる
ファイナルファンタジー6のロック
おそらくティナと共に主人公的なポジションにいるキャラ。
(6はいろんなキャラが主人公っぽくなるので、はっきりしてはいない)
仲間を集め、自分の信念を貫く姿勢がこの曲ととてもあっている、そんな感じがします。
この土日、全国フォーラムの宣伝をしようと、いろんな人たちに声をかけまくりました。
高校時代の仲間
大学時代の仲間
職場仲間・・・
多くの方が応援のメッセージをくれ、中にはフォーラムに参加してくれるという人もいました。
ああ、自分はこんなに仲間がいたんだ、と思えました。
今まで私のFacebookのページを見ながら、「オオニシは頑張ってんだな」と思ってくれている人も
いたようです。それを知ってとても胸が熱くなりました。
今までの自分の人生が肯定されたような気がしました。
自分の人生にはかげがえのない仲間たちがいたんだ、と。
まだまだ頑張らなければいけないんだけど、ちょうとロックのテーマが頭に流れている状態です。
そうそう、中学生の時の俺、夢は叶いつつあるよ。
「いい仲間ができたよ」
自分の気持ちを正直に
今日は参観懇談会がありました。
自分としては準備していたことをやり遂げられたな、という思いもありましたが、
いくつか出てきた質問や意見にうまく答えられずにモヤモヤが残る結果となりました。
「私はこんなことをやっています、理解してください!」と言っているようなもんだった・・・そんな気がします。「ほーら、子ども達、こんなに成長したのは、僕がこんなことをしたからですよ」と言っているかのよう。
なんかちがうな。
自分は子どもたちと人とのつながりを持って過ごし、成長を喜びたいはずなんだ。
なのになんだ、あれしろこれしろって。
決めたら貫けよ。楽させたいわけじゃない。本気で子ども達を成長させたいんだって、言えよ。
この取り組みだって理解してもらえないかもしれないけど、自分はそうできるって信じているって言えよ。
何のためにやっているって、子ども達の幸せは何か考えていた時に、こうだ、という思いがあるからでしょ。
それが自分だけの解なのかもしれない。でも、それでいいじゃないか。それ以外ないんだから。
明日も笑って教壇に立ちたい。それにつきる。
子どもたちは見せものじゃない。
今日は、自分らしくなかった。
もっと本心をこめて語れなかった、そんな気がする。
『学び合い』には希望がある。
子ども達の幸せなクラスを作れる希望がある。
それだけだ。『学び合い』で自分が何をしたいのか、それは自己実現と子どもたちの幸せ。
それをわすれてはいけない、そんな気がする。
ああ、よったな。
好きを仕事にした男
好きを仕事にした男
還暦記念講演
還暦にこんなにたくさんの人たちに囲まれて、自分の人生を語れるってすごいなぁ。
せっかくの人生だから、好きなことしようよ、っていうのは甘いことでも何でもないよな。
還暦まで、子どもたちの幸せを願い続けるって
すごいことだな。エゴだけでやれないよ、こんなこと。
いい刺激になりました。
ちょっと疲れてるのか
自分の無力感を感じます。
自分にできることをやってきました。
でも、何も変わっていないように感じました。
あんな場面、こんな場面を見ているとだんだん嫌気がさしてきます。
「去年がよかった」そんな声を聞きますが、「どこが」って思います。
私のよい悪いの判断基準は単純、自分のやりたいことをやらせてもらうこと。
その基準でいえば、去年も今年もどっちも同じ。
私は明確な方針がほしいだけ。いったい自分は何のためにやっているのか。
子どもたちをどう育てて、どんな学校にしていきたいか、だけ。
自分だけが、いきりたって、偉そうに、「こうだ」というのは嫌気がさす。
でも自分だけが、何か目標を持って日々過ごしているという傲慢な考えがどこかにある。
うーん
『学び合い』のことがまた分からなくなってきた。
寝る。