なんだかなぁ。
昨年持っていた子達が、
今の担任の先生や、
クラスの子達のことを、
ぺちゃくちゃしゃべっていました。
子どもたちは先生をよくみているな、と思いました。自分も気をつけなくてはいけないなあと改めて思う。ふう。
一枚一枚読みながら
子どもたちの書いた作文を読んでいます。今回は国語「私の忘れられない言葉」
私は授業中に最低限の話と例文を渡すだけで、あれこれ指導しませんが、授業終わった後、書いた文章を回収してじっくり読みます。
どのクラス、どの学年を担任しても、子どもたちの書いた作文は多様で面白い。
読みづらくても、文が少なくても、伝えたいことは分かるのでなるべく文章の方向性を崩さず、自分で修正できる程度にアドバイスを書きます。
それ以上に、子どもたちの思いを文章から感じて、すごいなあって思います。私は何か指導したことなんてほとんどないから、子どもたち自身が学んで、感じて、書いているわけです。
もちろん、書く力はそれぞれですから、表現の仕方もそれぞれなんだけど、何か読んでいるだけでいい気分になる。
来週、子どもたちに感想を伝えよう。
いい文章だったよー、ってね。
寝込む
夜中から具合が悪くなり、一日中ねこみました。体の疲れが出たかもしれません。
ふう。
分かってくれる
今日、校内授業研がありました。
もともと私がする予定ではありませんでしたが、
急遽行うことになりました。
引き受けたのは、自分にとって必要な機会になるからだと思います。
授業研の目的とは違うのですが、「子どもたちの成長」を先生たちに知ってもらうことが一つの目標です「成長した姿を見せる」というのは、子どもたちにとってもよい経験だと思います。
その後の協議会では、もう一つの目的。
それは、この学年、このクラスの実態を先生たちに伝えて、
何が必要なのか、伝えること。これは、熱が入りすぎて、何を言いたかったのか、分からなくなりました。
反省点は「子どもたちをどのように育てたいか」を話せなかったこと。
「自分が何をした」ということばかりを話してしまいました。
そこじゃない。
何を目指しているのか。
自分は何を理想としているのか。
それを語らなければならなかった。
「『学び合い』いいですよー」なんて宣伝するのではなく、
「『学び合い』によって、どんな子どもたちを育てたいと考えています」
と伝える必要がありました。
ああー後悔。
でも、みなさん、分かってくれているようでした。
子どもたちの姿から。
やはり、そこなんですね。
そこさえブレていなければ、いいのかもしれません。
視点を変えて
改めて、『学び合い』の基本にかえってみる。
『学び合い』における教師の「褒める」は「可視化」だと考えています。
「この教師は何を『よい』と考えているのか」子どもたちに気付いてもらうためです。
目標にも近いのかもしれません。
しかし、これは気をつけなければならないことがあって、
個をほめていると、ムラがでること。
だから集団をほめるようにすることが肝心です。
もう一点は「感謝、感動を伝える」ことです。
これはテクニックでもない気がします。
本当にそう思っていないと子どもに見透かされるから。
やはり思うことは「こうなってほしい」と思うことの7割くらいが見られたら、
肯定的にかかわる必要があると思います。ほめるかもしれないし、感謝かもしれない。
こう分かっていて、何度も失敗してきているんですけどね。
熱が入る。
今日の保護者懇談会、熱が入りすぎてしまった。これからの未来について現段階でわかっていることを伝え、その未来に対して今私にできること、願ってきたこと話をした。
今私が影響を与えることができるのは、自分のクラスと自分のクラスの子たち。そして親。あとちょっとだけ職場。
何かそんなことを考えながら、あっという間に終わった月曜日。
まだまだ今週はいろいろありますよ。
どうやら人は
自分の目標としているものが目の前にある時に、
かなりのパワーがでるようだ。
今、仕事が集中している。
やることが多すぎて、帰宅してからも休日も休むことがない。
でも、何とかやれているのは、自分が目指すものがそこにあるから。
誰かに評価してもらいたいとか、
誰かに認めてもらいたいとか
そういうのではなくて、
何かの役に立てばいい、いや立てないと。という思い。
体調なんか崩していたらもったいない。
燃えている。今、私は。
避けられない問い
今日の『学び合い』の会の中で参加されていた方が、出された問いが
ずっとひっかかっている。
『学び合い』のクラスだからこそ「一人も見捨てない」ことを逆手にとった「いじめ」が起きるのではないか。
『学び合い』で教え合っている時に、教えている子の教え方や関わり方が、教えられている子にとって本当は辛いかもしれない。さらに教えていることを教師が賞賛したら、本当のことを言えなくなる。それらを子どもが理解することができるのか。
また、発達に凹凸があったり、特性があったりする子どものことを教師が理解できなくてよいのか。教師がするべきではないのか。教師がそれを「できない」と言ってよいのか。
非常に核心をついた問いだと思います。
今までの経験で話すことができますが、それが本当に正しいのか、分かりません。
感情的な非難ではなく、適切な問いは有り難い限りです。
3週間。
3学期がはじまって3週間がたちました。
係、そうじ、席を変えました。
人間、ずっといい状態を維持するのは難しいですからね。気持ちを切り替えて、また頑張ってほしいなと思います。
毎日の振り返りと、3週間ごとの振り返り。
大変だと思うけど、この繰り返しで、成長につなげてほしいです。いや、実際につながっています。