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セミナー

今日はセミナーがありました。

 

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著者の方々のセミナーです。

勉強になりました。

 

いくつか備忘録

 

マインドアップ読書術

自分の強みは何か 3つ

退職後も学び続ける人へ

 

仲間と語れる

他所の学校の先生とファミレスで『学び合い』談義。

 

今度、実践発表を行うので、相談を受けていました。

 

とりあえず、『学び合い』との出会いからすべて話してもらいました。40分になりました。

 

やはり、その先生にしかないドラマや気づきがあるし、語れないことがある。そして共感できる。これが『学び合い』のよさ。

 

話の整理は他人がした方がいいというのは、以前の経験から学んだので、いくつか要点を伝えました。

 

来週また話をする予定です。

いい発表になるはず!

予備校時代

決して予備校の講師を批判したいわけでもなく、

西川先生を擁護したいわけでもなく、ただ単に自分の想いを。

 

とにかくつらかった。

あの当時の自分としては。

1年間、孤独。

親以外に会話する相手がいないから

不安をぶつける相手もいない。

夢を語る相手もいない。

分からない問題を聞く相手もいなければ、

単語や語句を覚えあう相手もいない。

本当に成績があがるかどうかもわからぬまま、

必死に講師の話を聞き、自習室にこもる毎日。

有名という講師の話が速すぎてついていけなくなるも、

1秒でもゆるんだら、もう目標が断たれるのではないかというプレッシャー。

肩書きもなく、ただ飯を食うだけの存在。親への申し訳なさ。

 

目標は大学に入ること。

その先にどんな大人になりたいとか、

どんな仕事をしたいとか、

どんなことを学びたいとか、

知る由もないし、考えるヒントもない。

 

つらかった。

ただ風景を眺めている時間が一番気持ちがよかった。

何度も同じ公園、同じ場所で佇んでは、自分を励ました。

 

今だからこそ思う、

一緒に勉強する仲間がいたら

いろんな目標を持つ仲間がいたら

不安を話せる仲間がいたら

私のその一年は変わったかもしれない。

 

孤独に耐え抜いた結果は第一志望不合格。

受験なんて孤独な戦いだと、言うかもしれない。

実際に毎日予備校に通う時に思っていた。

 

でも本当にそうだろうか。

『学び合い』だったら変わっていたかもしれない。

予備校に『学び合い』がなくてもいい。

せめて高校や中学校に『学び合い』があったら、

変わっていたと思う。

 

私の想いは以上です。

『学び合い』は授業のスタイルうんぬんではない。

『学び合い』の日

水曜日は『学び合い』の日と位置づけして、保護者が自由にこれるようにしました。

 

「水曜日は必ず」

というのは、自分に対してもいいプレッシャーになるし、保護者に『学び合い』のよさを伝えるチャンスにもなる。

 

そんな気がしています。

早速今日一人来られました。

来週はどうかなー。

 

 

 

『学び合い』的 懇談会

以前、西川先生を囲む会のはずが、西川先生をほったらかして、集まった方々とワイワイ盛り上がっていたことがありました。

 

昨日の懇談会もそんな感じ。

親たちがワイワイ盛り上がって、私は周りでウロウロしてるだけ。

 

ああ、こんな感じかあ。

これでいいんだなあと思った。

保護者同士が繋がる方が、何より大事だと考えたら、これはとてもいい状態。

 

一度時間の区切りを入れたけど、

しばらく話し込んでた。

やっぱり親同士、たくさん話すのが楽しいんだろうな。西川先生にいいことを教わりました。

公開

『学び合い』の授業参観公開。

 

子どもたちはよほど楽しかったのか

興奮冷めやらぬまま、帰りまで盛り上がる。

親たちはどんな感想を持ったんだろう。

少なくともじっとしている姿をよりもよかったはず。

 

『学び合い』の初期は関わりあうことが目的でもいいと思います。私のクラスとにかく

人と関わることを、楽しんでます。そして、この多様な関わりから、関わることで課題を解決できる集団になってほしい。

 

私個人としてよかったのは、

自然に子どもたちと笑って過ごせたことですね、

優越感と劣等感

学生時代に本をいろいろ読んだのは、

「本を読んでる自分て、周りより優れてる」という優越感を得たいというのも目的の1つだったのかもしれない。

 

教師になってプロ教師になるためのセミナーに通ったり、本を読んだりしたのも、優越感を得たいという目的があったのかもしれない。

 

『学び合い』を、はじめて数年してから感じることは、全く優越感を感じない。

そりゃ学級は落ち着くし、学力は上がるんだけど、それは自分がすごいからじゃないし、

自分の成果じゃないから、誇れるものでもない。むしろ、もっとすごい『学び合い』学級や教師の存在を知っているからこそ、自分に足りないものは何かと考えるし、周りの先生たちが、自分に足りないものを持っていることに気づくと、劣等感ばかり感じる。

 

ただ、ネガティヴになるわけではなく、

もっと知りたい、もっと自分を高めたいと思ってるから、ポジティブな劣等感かなと思ってる。

 

『学び合い』初期

『学び合い』初期に起こる状態の一つ。

 

学び合っているというより、触れ合っている状態。

頭を使って考えているというよりも、いろいろな子同士で関わっている状態。

 

『学び合い』の学校観を実感するという目的のためであると考えれば

そんな状態が初期にあってもいいんじゃないかと考えています。

 

逆に、全然交流しないという状態もあり得るそうです。

なるほど、確かに一番最初に取り組んだときは、グループ学習に近かった。

そんなときにどうすればいいか。

 

手立てが2つ(今ところ思いつくものは)

・課題を変えて子どもたちの交流を必然化する。

 例えば、マスを埋める問題にする

     「50文字以内で記述する」とか

・教師が積極的に可視化する。

例えば「あー〇〇さん、すごくいい考えだねえ」とか

   「いろんな人に聞きに行けるっていいねえ」とか。

 

セオリーから外れると思うけど、もっと個人的にかかわって「ねえ、あなたいい感じだからみんなに教えにいってほしいな。」とか「あなたの考えをみんなに伝えてよ」とかいうのもできる子集団を動かすために、最初はいいのかもしれない。

 

うーん、意外なところに考えることがあるっていいなあ。