連休あけの『学び合い』
「時計のプリントを全員が100点とれる」(すべてひらがな)
以前に比べて子どもたちが自己評価できるようになったなと思います。
いいかげんに丸つけしている子も減りました。
「わかる」って何か。
最近は「自分でできるようになる」と話します。
1年生の子はすぐに気づいて動いてくれるのですが、
「してあげて」しまいがちです。
それでは、自分の力にならない。
「自分でできること」を子どもたちに意識させると
『学び合い』が一方的な教える学習ではなくなるのではないかと
学びました。
教員の雰囲気
今日は妻のママ友繋がりで、バーベキューをしました。
いろんな人が集まっていて、いろいろ話をしていると、ある方から
「先生ですか?」と聞かれました。
教員の雰囲気が出てるのかなと思ってしまいました。
いいのか悪いのか…。
まあ確かに、同業者だとなんとなくわかる時があるから
教員の雰囲気ってあるのかもしれません。
『学び合い』の仲間たち
今日はファミレスで『学び合い』仲間と4時間ほど話こみました。
若手の実践者が、自分の実践を今度語る機会があるため、一緒に考えました。
その方なりの『学び合い』の出会いがあり、悩みがあり、感動があり…。
それは比べるものではないので、聞きごたえがあります。
そして通る道は驚くほど再現性があるので「わかるなー」ということがたくさんあります。
そしてこのような「わかるなー」の出来事は、いつのまにか忘れていることに気づかされます。おそらく、『学び合い』初期の方は、私の話を聞くより、彼の話を聞いた方が、共感できると思います。
万人に伝わる話を出来る人はいない。
ピタッと合う人は、それぞれ全然違う。
『学び合い』のセオリーですね。
分かる
分かるっていうのは、
「自分でできる」こと。
1年生にも納得できる「分かる」がこれでした。
教えても自分でできなければダメ。
手伝っても自分でできるようにならなければダメ。
分かるまでに、何回もプリントをといたっていい。
なるほど。
お便り
『学び合い』に感動しました。
というお便りを保護者からもらいました。
どんどん公開していこう。
おっ
作文の書き方を教えて、さあどうぞ。
ほんの数秒で「ねぇ教えて」という子がちらほら。あー、いくら丁寧に説明しても、よくわからないもんは、わからないよなぁって改めて思う。
何人かの子たちが集まってきて、どんな話をしているのか、よくよく聞いていると、薄く書いてなぞってごらんって声かけてる。そうそう、まだひらがながすっと出てこないんだよなあ。
パッと別のところ見たら、
「ねぇ、さっきのプリント終わってないでしょ、しなきゃ」と声かけてる子が。
ああ、そこまで気がまわるようになったのか。
ちょっとした場面をみながら、
作文が終わるのを待つ。
数名の子が最後の子の作文をいっしょにもってくる。
ああ、一年生だって十分教えられるじゃん。