おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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さあ、頑張らないと。

6月に公開授業をすることになりました。

6月はお客さんが来る、セミナーがある、公開授業がもう一つある、参観がある…と仕事が多いので、さらに増えることに不安がありますが、何とかするしかありません。

 

一日中いろんなことを考えている気がします。

余裕がない、わけではないと思いますが

時間がフルに生かしています。

 

夏休みまで駆け抜けることになりそうです。

体調に気をつけて頑張ろ…。

 

スタンスを変えてみた

授業をしながら怒るようなことは、ほとんどないんですが、

「声かけしないといけないな」と思うことはあります。

ただ、それが子どもたちに「怒る」「叱る」と捉えられがちな気がします。

 

「声かけ」であっても感情がこもれば「怒る」と思われても仕方ありません。

「時間守ろうね、どうしてかというと」という・・・という私からしたら「声かけ」も

表情や声の調子から「怒っている」と思われることもあるでしょう。

 

「先生はいつも怒っている」

「先生は、〇〇さんをよく怒っている」

 

時々、子どもたちから聞く言葉ですが、それを聞くたびによくないなあ~、と思ってしまいます。だんだん自分ってダメだなあ、と思うようにもなります。

 

そこで以前から色々工夫しています。

 

・声かけは最低限にして、じっと待つ。

・「怒っているんじゃなくて、みんなに考えてもらいたいから話をしているんだよ」

 と前置きをする。

・紙に書いて、見せるようにする。

 

ちょっとした工夫ですが、少しは効果があるのではないかと思います。

そして最近は自分自身が嫌にならないように、スタンスを変えてみました。

 

「今、必要なことを教えている」と思うこと。

子どもたちに話をしている時に「教えていること」「教師として教えるべきこと」と思うと、感情が入らずに話せることが分かってきました。また、自分が話していることに、自信が持てるようになってきました。また、話をしたときに

「注意に近い話」「褒めるに近い話」「スルーしたこと」をふせんにメモするようにしました。これも自分の話すことをコントロールする方法として、自分に合っているなと思います。

 

私の最大の課題は、子どもたちに「怒っている」と思われること。

「怒っている」自分に罪悪感を抱いてしまうこと、です。

これが一番心労だということが分かってきました。

簡単に書いていますが、1年以上考えていることです。

さあ、今日もチャレンジの日です。

 

 

いつも教育のことばかり

土日が終わり、月曜日がやってきました。

「あーあ、月曜日か」とまでやる気が落ちているわけでもなく、

「よしやるぞ!」と燃える感じでもありません。

ほどよい前向きさ、というところでしょうか。

ちょうどいいくらいです。

 

さて、休日は仕事のことを全く考えない、という人もいると思いますが

私はそうではありません。

いつもいつも考えていた方が安心するタイプです。

仕事に直結することをしている時もあれば、

直結はしないけど、勉強していた方がいいこと、準備をしていた方がいいこと

をしている時もあります。

この土日のメインは家族と過ごす時間でしたが、

隙間の時間に何冊かの本を読み、先の研究授業の準備をしていました。

 

勉強をすると、試したくなるし、

準備をすると、すっきりします。

そんな感じの月曜日の朝です。

 

あ、運動会まであと一週間だった。

それも忘れずにいないと!

学習会

昨日は月一回の定例会でした。

参加人数は少なかったし、顔なじみのメンバーでしたが、じっくり話ができたので

よかったです。話をしながらたくさんアウトプットさせてもらいました。

 

今度高校の授業見学をさせて頂く話ができてきました。

その高校の先生がも私のクラスに来てくださるそうです。

 

小学校-高校で行き来する人たちってあんまりいないでしょうね。

楽しみだなあ。

小学校の国語の授業について

小学校の国語の授業について。
 
例えば「登場人物の気持ちを読み取ろう」という学習。
「気持ち」を「読み取る」ことが、「想像する」ことと混同していると感じることが多いと思います。
 
「読み取る」というのは、文章中の登場人物の気持ちを表す表現や、会話文を根拠に、一番妥当だと考えられる解釈を見つけ出す作業ではないかと考えています。
 
根拠となる叙述はどれか。
叙述だけでは足りない分を埋め合わせる解釈として妥当なのは、何か。
これを考えることが「読み取る」ではないかと思います。
子どもたちと授業中に考えるとすればこの2点です。
 
でなければ、文章に則さない好き勝手な想像ばかりを出してもかまわないことになります。
道徳の時間に、登場人物の気持ちを想像して、一番近い気持ちを考えていくことがありますが、根拠は「大勢」だったり、教師です。
 
しかし、国語は「読み取り」ですから、そんなことがあってはいけないでしょう。より、本文に、
より全員が納得できる解釈を目指すべきです。
なんかそこらへんが曖昧な授業がよくあるので、よくモヤモヤします。
ああ、これくらいしか書けませんが、他にも言いたいことは山ほど。
 
ううう。
 
 

どんなに

どんなに本を読んだって、

どんなにすごい人に影響を受けたって、

自分自身の人間性は、自分でしか変えられない。

 

いつもいつも、自分の言動が嫌になって、自己嫌悪で一日が終わる。

自分の言動や気持ちくらいコントロールできるはずなのに。

 

これでもずいぶんマシになってきた方だとは思います。

でも、まだまだ。

 

今日こそは…。

結局、子どもの力

ある状況に陥った時、

教師の支援や手だてによって、状況が変わるかもしれません。

しかし、何が最善が分からないこともあります。

 

話をするのがいいのか、様子を見るのがいいのか、ちょっと思いっ切った行動にでるのかがいいのか…。

 

今私が抱えていた問題は、結局子どもたちが何とかしてくれました。

私もできることはしましたし、周りの同僚も助けてくれました。

最初の一歩を踏み出せるようにしたのは、大人たちかもしれませんが、

歩き続けることができたのは、子どもたちの力です。

 

具体的に書けないことなので、ボヤっとしていますが、

とにかく状況は改善しました。よかったです。

本能的に

「一人も見捨てない」なんて言わなくても

子どもたちはクラスの仲間を見捨てたくない、と本能的に感じているんじゃないかな、

と思う出来事がありました。

 

もしかしたら、先生の話をずっと聞いて、黙って授業を受けることを繰り返していることで、もともと持っているその感覚が鈍ってくるのではないかと思いました。

『学び合い』は人の自然な姿なのかもしれません。

見学

昨日、他の学校の先生が、授業見学に来てくださいました。

その先生も『学び合い』に理解があり、実際に取り組んでいる方です。

 子どもたちの様子を見ながら、いろいろな話をしました。

子どもの動き、子どもたちの声かけ、教室掲示、学習プリント、ノート…

教室だからこそ、話せることがたくさんありました。

何か私の取り組みがその先生にプラスになれば幸いです。

最後に感想を話してもらいましたが、私より若いからか、センスなのか、子どもたちへの語りがとても上手で驚きました。ああ、こんな感じでしゃべったら子どもたちは引き付けられるんだ。と思いました。低学年に対する話し方ってのも一つ必要なことかもしれません。いいことを学びました。

 

それにしても、『学び合い』の実践者同士で、教室を行き来するのはこんなにプラスになるとは。もっといろんな人が教室に来てほしいし、私も行きたいなと思います。